言辞柔軟にして、衆の心を悦可せしむ
言辞柔軟にして、衆の心を悦可せしむ。
言葉やわらかに、人の心を喜ばせる。言葉で示す教えは、様々な譬喩(ひゆ)や因縁を用いて正しく教導することが肝要であり、その心運びが人々に喜びを与えることになるのである。
『妙法蓮華経』方便品第二
鳩摩羅什(くまらじゅう)が漢訳した『妙法蓮華経』(406年)。「最高の教え(法華)、白蓮華のような正しい教えを説いた経典」という意味があり、生あるものはすべて成仏できると説くところに、『法華経』が「諸経の王」と呼ばれる由縁がある。
智慧の道を歩む際、我々は言葉の力を忘れてはならない。言葉は心に響き、また心を動かす根源的な力を持っている。柔らかな表現や譬えを用いることで、聞く者の心に親しみをもたらし、喜びをもたらすことができるのだ。
仏の教えは、常に人々の心の奥深くに届くように、さまざまな形で示されてきた。なぜなら、教えはただの言葉の羅列にとどまらず、実際の体験や実相と結びついているからである。このような心を満たす教導は、聴衆の心に寄り添い、彼らの苦しみや悩みに対して共鳴することが大切である。
また、仏教の教えにおいては、一人一人がそれぞれの状況や心の状態に応じた理解を得ることができるよう、誜り豊かに語る必要がある。この教えの実践により、全ての衆生が成仏する道を示すことができるのである。
『法華経』においては、すべての存在が成仏の可能性を持つことが強調されている。この観点から、我々は言葉の力をもって、他者を思いやり、教えに進む道をしっかりと支える義務がある。言葉が持つ影響力を、自らの修行の一環として用い、相手に喜びを与えることが、悟りの一助となるだろう。
このように、柔らかな言葉はただの響きではなく、仏教の深遠な教えを伝える窓口であり、それを通じて我々は生きとし生けるものの心を和ませることができる。教えが響くその瞬間が、まさに人生の真理に触れる瞬間であることを忘れずに、日々の言葉を大切にしていきたいものである。