朝ごとに新しく、主の慈しみを信じて生きる
(哀歌 3:20-27)
思い出す度に私の魂は沈む。
しかし、そのことを心に思い返そう。
それゆえ、私は待ち望む。
主の慈しみは絶えることがない。
その憐れみは尽きることがない。
それは朝ごとに新しい。
あなたの真実は尽きることがない。
「主こそ私の受ける分」と私の魂は言い
それゆえ、私は主を待ち望む。
主は、ご自分に希望を置く者に
ご自分を探し求める魂に恵み深い。
主の救いを黙して待ち望む者に恵み深く
若い時に軛を負う者に恵み深い。
(哀歌 3:20-27)『聖書 聖書協会共同訳』より引用
私たちの心には時に沈みゆく思いが訪れますが、それがどれほど深いものであっても、私たちはそれを心に留め置く必要があります。そうすることで、主への希望を持ち続けることができるのです。主の慈しみは決して絶えず、その憐れみは私たちの生活の中で尽きることなく、毎朝新たに私たちに降り注ぎます。この偉大な真実を思い出し、私たちは主を待ち望むのです。
「主こそ私の受ける分」と私の魂は告げます。主は私たちに必要なものを与え、私たちを守り導いてくださる存在です。主に希望を置く者に対して、主は恵み深く心を開いてくださいます。また、主を探し求める魂に対しても、必ずその道を示してくださるのです。
私たちが主の救いを黙して待ち望む時、主の恵みは私たちを包み込みます。そして、若い時には試練も訪れるかもしれませんが、それでも主は負担を共にしてくださるのです。こうした言葉が心に響くよう、私たちは日々主を敬い、祈り、そして待ち続けましょう。聖書の言葉が私たちの心を励まし、その信仰を強めるものであることを信じます。