弱い者への招き - 聖書からの名言と教え
(使徒言行録 20:31-35)
だから、私が三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。
そして今、あなたがたを神とその恵みの言葉とに委ねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に相続にあずからせることができるのです。
私は、他人の金銀や衣服を貪ったことはありません。
ご存じのとおり、私はこの手で、私の必要のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。
あなたがたもこのように労苦して弱い者を助けるように、また、主イエスご自身が『受けるよりは与えるほうが幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、私はいつも身をもって示してきました。」
(使徒言行録 20:31-35)『聖書 聖書協会共同訳』より引用
私たちの生きるこの世には、心に傷を持つ者、苦しむ者が多く存在しています。そのような者たちに対し、私たちはどのように接すべきでしょうか。使徒パウロが教えた言葉は、今も私たちに大切なメッセージを与えてくれます。「私があなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えてきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。」(使徒言行録 20:31)。
私たちは、神の恵みの言葉に委ねられ、その言葉によって形作られた存在です。この恵みの力は、聖なる者たちと共に相続の希望を与え、私たちに使命を与えます。パウロは言います。「私は他人の金銀や衣服を貪ったことはありません。私の手で、私の必要のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。」(使徒言行録 20:33-34)。
私たちも同様に、自らの労苦を通じて、弱い者たちを助けることが求められています。主イエスが言ったように、「受けるよりは与えるほうが幸いである」という教えを常に心に留め、この生き方を日々実践することこそが、私たちに与えられた使命であるのです。
弱者を助け、心を寄せることは簡単ではありません。しかし、私たちが他者に手を差し伸べるとき、神の恵みが私たちに注がれ、豊かな祝福がもたらされるのです。このような思いやりこそ、信仰の本質であり、一人ひとりが心に抱くべき神の教えです。どうか、この聖句を思い起こし、与えられた恵みを他者と分かち合うことを忘れないでください。