感謝せよ - 聖書が教える家と町を守る知恵
(詩編 127:1-5)
都に上る歌。ソロモンの詩。
もし、主が家を建てるのでなければ
それを建てる人々は空しく労苦することになる。
もし、主が町を守るのでなければ
守る人は空しく見張ることになる。
空しいことだ
朝早く起き、夜遅く休み
苦労してパンを食べる人々よ。
主は愛する者には眠りをお与えになるのだから。
見よ、子どもたちは主から受け継いだもの。
胎の実りは報い。
若い頃生んだ子どもたちは
勇士の手にある矢のようだ。
幸いな者、矢筒をこれらの矢で満たす男は。
町の門から敵を追い払うときも
恥を受けることはない。
(詩編 127:1-5)『聖書 聖書協会共同訳』より引用
感謝せよ。詩編127篇は、家を建てる力、町を守る力、それらすべては主から来るものであることを教えています。もし、主が家を建てるのでなければ、それを建てる人々は空しく労苦することになります。これは、私たちの行動に神の助けが不可欠であることを示しています。また、町を守るためにも、主の存在が必要です。守る人がどんなに警戒しても、神が居なければ、その見張りは無駄なものとなってしまいます。
空しいことだ、朝早く起き、夜遅くまで働くことが、神抜きではただの苦労にすぎません。しかし、神は愛する者には眠りをお与えになります。ここに神の愛があるのです。神を信じ、感謝の心を持って生活することで、私たちは真の安らぎを見出せます。
見よ、子どもたちは主からの贈り物です。胎の実りは神の与えた報いであり、若い頃に生んだ子どもたちは、勇士の手にある矢のようです。幸いな者、矢筒をこれらの矢で満たす男は、敵が町の門から押し寄せる時も、恥を受けることはないでしょう。これは信じる者に与えられる祝福です。
私たちが日々の生活の中で感謝することは、神の恵みを再認識する大切な行為です。家族に囲まれて過ごすことの幸せ、職場での恵み、すべては神からの贈り物です。感謝の心を絶やさずに、神の導きのもとで生きることを忘れないようにしましょう。