思慮深くあれ - エレミヤ書に見る神の警告と赦し
(エレミヤ書 5:7-9)
どうして、あなたを赦せるだろうか。
あなたの子らは私を捨て
神ではないものによって誓った。
私が彼らを満足させると
彼らは姦淫し
遊女の家に群れ集まった。
彼らは、発情した肥えた馬だ。
隣人の妻に向かっていななく。
これらのことで私が罰せずにおくだろうか
――主の仰せ。
このような国民に対し
私が報復せずにおくだろうか。
(エレミヤ書 5:7-9)『聖書 聖書協会共同訳』より引用
この世の中で、私たちがどのように生きるべきか、聖書は明確な指針を示しています。エレミヤ書5章7節では、「どうして、あなたを赦せるだろうか」と主は問われます。この言葉は、私たちが神との関係を深く考えるべきであることを示しています。私たちの周囲には、神ではないものに心を寄せている者たちがいます。彼らは、自己中心的な欲望にふけり、真実の愛を見失っているのです。
「私が彼らを満足させると、彼らは姦淫し、遊女の家に群れ集まった」との言葉は、このような姿勢が生む結果を警告しています。ここで言われる「姦淫」は、単なる肉体的な行為に限らず、神に対する裏切りや信仰の喪失をも意味しています。まさに、私たちの心が何を愛し、何に値打ちを置くかが、そのまま私たちの生き様に影響を与えています。
牛や馬のたとえが示すように、彼らは欲望のままに生き、周囲の人々に対し無関心です。こうした姿勢は、私たちが神の道から逸れていることを示唆しています。神は、正義をもって聖なる裁きを下さるお方です。「私が報復せずにおくだろうか」という重い問いかけが、私たちの心に響きます。
私たちはこの言葉をしっかりと受け止め、思慮深く行動することが求められています。神との関係を見失わず、名誉と誠実をもって生きることこそが、私たちが求められている道なのです。悔い改め、真実を求める心を持って生きることで、神の赦しを受けるとともに、彼との絆をさらに深めることができると信じています。