教会の革新:神の証しと聖書の真理を求めて

(ヨハネによる福音書 5:31-40)

原文

「もし、私が自分自身について証しをするなら、私の証しは真実ではない。

私について証しする方は別におられる。そして、その方が私について証しする証しは真実であることを、私は知っている。

あなたがたはヨハネのもとへ人を送ったが、彼は真理について証しをした。

私は人間による証しは受けない。しかし、このことを言うのは、あなたがたが救われるためである。

ヨハネは燃えて輝く灯であった。あなたがたは、しばらくの間、その光を楽しもうとした。

しかし、私には、ヨハネの証しにまさる証しがある。父が私に成し遂げるようにお与えになった業、つまり、私が行っている業そのものが、父が私をお遣わしになったことを証ししている。

また、私をお遣わしになった父が、私について証しをしてくださる。あなたがたは、父の声をまだ聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。

また、あなたがたは、父のお言葉を自分の内にとどめていない。父がお遣わしになった者を、あなたがたは信じないからである。

あなたがたは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を調べているが、聖書は私について証しをするものだ。

★底本に節が欠けている箇所の異本による訳文 彼らは、水が動くのを待っていた。ある時間になると、主の天使が池に降りて来て水を動かしたので、水が動いたとき、真っ先に入る者は、どんな病気にかかっていても、良くなったからである。

それなのに、あなたがたは、命を得るために私のもとに来ようとしない。

出典

(ヨハネによる福音書 5:31-40)『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

イエスは言われました。「もし、私が自分自身について証しをするなら、私の証しは真実ではない。しかし、私について証しする方が別におられる。」この言葉は、神の計画と真理を私たちに教えてくれます。私たちもまた、自己中心的な証しではなく、神が私たちの人生に注ぎ込む真理を求める必要があります。

聖書には、永遠の命があると私たちは信じるべきだとありますが、その永遠の命は、単に知識として存在するのではなく、イエス・キリストそのものに結びついています。イエスは、私たちが聖書を調べる際、決してただの文字を追い求めてはならないことを警告しています。聖書は、キリストに関する証しを成すものだからです。

また、同時に、私たちは父なる神の声を聞き、姿を目にすることを求めなければなりません。しかし、イエスは告げます。「あなたがたは、父の声をまだ聞いたこともなければ、お姿を見たこともない。」この言葉は、神との関係の奥深さと、私たちが直面する霊的な旅の重要性を示しています。

ヨハネは光であり、イエスはその光を超える証しを持っています。私たちの信仰が試される中で、神の真実に向かって進む原動力を見失ってはなりません。私たちの本質と存在の真実を知るためには、日々神と共に歩み、聖書の教えを通してその心を受け入れていくことが大切です。これこそが、教会の革新へと導く道なのです。

愛と知恵、日々の聖書の言葉 愛と知恵、日々の聖書の言葉 愛と知恵、日々の聖書の言葉

注目の聖句