あなたの主が来られる:真の悔い改めと神の力
(マタイによる福音書 3:7-11)
ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼(バプテスマ)を受けに来たのを見て、こう言った。「毒蛇の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。
それなら、悔い改めにふさわしい実を結べ。
『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石ころからでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。
斧はすでに木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
私は、悔い改めに導くために、あなたがたに水で洗礼(バプテスマ)を授けているが、私の後から来る人は、私より力のある方で、私は、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたがたに洗礼(バプテスマ)をお授けになる。
(マタイによる福音書 3:7-11) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
神の言葉は、私たちに真の悔い改めを求めています。ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が洗礼を受けに来たとき、彼らに対して厳しい言葉を投げかけました。「毒蛇の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、誰が教えたのか。」彼の言葉は、私たち自身に向けた警告です。過去の行いに安住することなく、真正の悔い改めを通じて、神の前に立つことが大切です。
「悔い改めにふさわしい実を結べ」という呼びかけは、ただの宗教的な儀式ではなく、私たちの生活全般における行動と態度にかかわるのです。神は、アブラハムの子孫を石ころから造り出すこともできる力を持っています。我々の血筋や伝統を誇るのではなく、真正の信仰に根ざした生き方をすることが求められています。
また、ヨハネは「斧はすでに木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる」と警告します。これは私たちの信仰の実を問う重要なメッセージです。私たちの行動が神の前に認められるものでなければ、取り返しのつかない結果を招くことになります。
最後に、ヨハネは、自らの洗礼が悔い改めに導くものであることを示しましたが、彼の後に来る方がより力強い存在であり、聖霊と火で洗礼を授けてくださると教えます。この力を信じ、心から悔い改めて生きることこそが、私たちが待ち望む主の来臨に備える道なのです。私たちもまた、この聖句の教えを胸に刻み、実を結ぶ者となりましょう。