五旬祭の日が来て、皆が同じ場所に集まっていると、 突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こり、彼らが座っていた家中に響いた。 そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。 すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした。
続きを読む →
日々の決断を照らす知恵の光
私は、神からいただいた恵みによって、賢い建築家のように、土台を据えました。そして、他の人がその上に建物を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。 イエス・キリストというすでに据えられている土台のほかに、誰も他の土台を据えることはできないからです。 この土台の上に、誰かが金、銀、宝石、木、草、わらで家を建てるなら、 おのおのの仕事は明るみに出されます。かの日にそれが明らかにされるのです。なぜなら、かの日が火と共に現れ、その火はおのおのの仕事がどんなものであるかを試すからです。 誰かが建てた仕事が残れば、その人は報酬を受けますが、 燃え尽きてしまえば、損害を受けます。ただ、その人は、火の中をくぐるようにして救われます。 あなたがたは神の神殿であり、神の霊が自分の内に住んでいることを知らないのですか。 神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです
もっと見る →
隣人を愛し、慈しむ心
私たちは誰一人、自分のために生きる人はなく、自分のために死ぬ人もいません。 生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。 キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためです。 それなのに、なぜあなたは、きょうだいを裁くのですか。また、なぜ、きょうだいを軽んじるのですか。私たちは皆、神の裁きの座の前に立つのです。 こう書いてあります。 「主は言われる。 『私は生きている。 すべての膝は、私の前にかがみ すべての舌は、神をほめたたえる』と。」 それで、私たちは一人一人、自分のことについて神に申し開きすることになるのです
もっと見る →