私は言います。霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。

肉の望むことは霊に反し、霊の望むことは肉に反するからです。この二つは互いに対立し、そのため、あなたがたは自分

私は言います。霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。 肉の望むことは霊に反し、霊の望むことは肉に反するからです。この二つは互いに対立し、そのため、あなたがたは自分のしたいと思うことができないのです。 霊に導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。 肉の行いは明白です。淫行、汚れ、放蕩、 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、怒り、利己心、分裂、分派、 妬み、泥酔、馬鹿騒ぎ、その他このたぐいのものです。以前も言ったように、ここでも前もって言いますが、このようなことを行う者は、神の国を受け継ぐことはありません。 これに対し、霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、 柔和、節制であり、これらを否定する律法はありません。 キリスト・イエスに属する者は、肉を情欲と欲望と共に十字架につけたのです。 私たちは霊によって生きているのですから、霊によってまた進もうではありませんか。 思い上がって、互いに挑み合ったり、妬み合ったりするのはやめましょう。

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今日のテーマ

ふればぬれ ぬるればかわく袖のうえを あめとていとう人ぞはかなき - 一遍上人(時宗開祖。1239-1289)

智慧

日々の決断を照らす知恵の光

ふればぬれぬるればかわく袖のうえをあめとていとう人ぞはかなき

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シオンのために、私は口を閉ざさず

エルサレムのために、私は沈黙しない。

その義が光のように現れ

救いが松明のように燃えるまで。

国々はあなたの義を見

王たちは皆、あなたの栄光を見る。

あな

隣人を愛し、慈しむ心

シオンのために、私は口を閉ざさず エルサレムのために、私は沈黙しない。 その義が光のように現れ 救いが松明のように燃えるまで。 国々はあなたの義を見 王たちは皆、あなたの栄光を見る。 あなたは、主の口が定める新しい名で呼ばれる。 あなたは主の手の中で誉れある冠となり 神の手のひらの上で王冠となる。 あなたは二度と「捨てられた女」と 言われることはなく その土地は二度と「荒廃した地」と 言われることはない。 あなたは「私の喜びは彼女にある」と呼ばれ その土地は「夫を持つ者」と呼ばれる。 主の喜びがあなたにあり あなたの土地は夫を得るからである。 若者がおとめの夫となるように あなたの子らがあなたの夫となり 花婿が花嫁を喜びとするように あなたの神はあなたを喜びとする。 エルサレムよ、あなたの城壁の上に 私は見張りを置いた。 昼も夜も、一時も口を閉ざしてはならない。 主に思い出させる者よ 決して黙ってはならない。 主がエルサレムを建て これを全地の誉れとされるまでは 主が休まれないようにせよ。 主は、その右の手と 力ある腕とにかけて誓われた。 私はあなたの穀物を 敵に食料として与えることは二度とせず あなたの労した新しいぶどう酒を 異国の子らに飲ませることもしない。 穀物を収穫した者がそれを食べて、主を賛美し ぶどうを収穫した者が私の聖所の庭でそれを飲む。 通れ、通れ、城門を。民の道を整えよ。 築き上げよ、築き上げよ、大路を。 石を取り除け。 もろもろの民に向かって旗を揚げよ。 見よ、主は地の果てまで布告された。 娘シオンに言え。 見よ、あなたの救いがやって来る。 見よ、その報いは主と共にあり その報酬は御前にある。 彼らは聖なる民、主に贖われた人々と呼ばれ あなたは、尋ね求められる女 見捨てられることのない町と呼ばれる

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体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も

体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様です。 なぜなら、私たちは皆、ユダヤ人もギリシア人も、奴隷も自由人も、一つの霊によって一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊を飲ませてもらったからです。 実際、体は一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。 足が、「私は手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 耳が、「私は目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこで嗅ぎますか。 そこで神は、御心のままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。 すべてが一つの部分であったら、体はどこにあるのでしょう。 しかし実際は、多くの部分があっても、体は一つなのです。 目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。 それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。 私たちは、体の中でつまらないと思える部分にかえって尊さを見いだします。実は、格好の悪い部分が、かえって格好の良い姿をしているのです。 しかし、格好の良い部分はそうする必要はありません。神は劣っている部分をかえって尊いものとし、体を一つにまとめ上げてくださいました。 それは、体の中に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合うためです。 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。 あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分です

イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄

イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産を無駄遣いしていると、告げ口する者があった。 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』 管理人は考えた。『どうしようか。主人は私から管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。 そうだ。こうすれば、管理の仕事をやめさせられても、私を家に迎えてくれる人がいるに違いない。』 そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、最初の人に、『私の主人にいくら借りがあるのか』と言った。 『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。早く座って、五十バトスと書きなさい。』 また別の者には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書きなさい。』 主人は、この不正な管理人の賢いやり方を褒めた。この世の子らは光の子らよりも、自分の仲間に対して賢く振る舞っているからだ。 そこで、私は言っておくが、不正の富で友達を作りなさい。そうすれば、富がなくなったとき、あなたがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえる。 ごく小さなことに忠実な者は、大きなことにも忠実である。ごく小さなことに不忠実な者は、大きなことにも不忠実である。 だから、不正の富について忠実でなければ、誰があなたがたに真実なものを任せるだろうか。 また、他人のものについて忠実でなければ、誰があなたがたのものを与えてくれるだろうか。 どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を疎んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

だから、きょうだいたち、私がそちらに行って異言を語ったとしても、啓示か知識か預言か教えかによって語ら

だから、きょうだいたち、私がそちらに行って異言を語ったとしても、啓示か知識か預言か教えかによって語らなければ、あなたがたに何の役に立つでしょう。 笛や竪琴のような命のない楽器でも、もしその音に変化がなければ、何を吹き、何を弾いているのか、どうして分かるでしょう。 ラッパがはっきりした音を出さなければ、誰が戦闘態勢に入るでしょうか。 同じように、あなたがたも異言ではっきりしない言葉を語れば、話していることをどうして分かってもらえるでしょう。空に向かって語ることになるからです。 世界には実に多くの言語がありますが、意味のないものは一つもありません。 ですから、もしその言語の意味が分からないなら、話し手にとって私は外国人であり、私にとってその話し手も外国人ということになります。 同じように、あなたがたも霊の賜物を熱心に求めているのなら、教会を造り上げるために、それをますます豊かに受けるように求めなさい。 こういうわけで、異言を語る者は、それを解き明かすことができるように祈りなさい。 私が異言で祈るなら、私の霊は祈りますが、理性は働いていません。 では、どうすればよいのでしょうか。霊で祈り、理性でも祈ることにしましょう。霊でほめ歌を歌い、理性でもほめ歌を歌いましょう。 さもなければ、あなたが霊で祝福しても、初心者の立場にある者は、どうしてあなたの感謝に「アーメン」と言えるでしょうか。あなたが何を言っているのか、彼には分からないからです。 あなたが感謝するのは結構ですが、そのことで他の人が造り上げられるわけではありません。 私は、あなたがたの誰よりも多くの異言が語れることを、神に感謝します。 しかし、教会では、異言で一万の言葉を語るよりも、他の人たちを教えるために、理性によって五つの言葉を語るほうを取ります

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