正義と平和:安逸を貪る者たちへの警告と希望

(イザヤ書 32:9-20)

原文

安逸を貪る女たちよ、起きて、私の声を聞け。

安心しきった娘たちよ、私の言葉に耳を傾けよ。

安心しきった女たちよ

一年と少したつと、あなたがたは震えおののく。

ぶどうの収穫が消えうせ

取り入れの時が来ないからだ。

安逸を貪る女たちよ、おののけ。

安心しきった女たちよ、震えおののけ。

服を脱いで裸になり

腰に粗布をまとえ。

胸を打って嘆け

美しい畑のために。

実り豊かであったぶどうのために。

茨とあざみの生い茂る私の民の土地のために。

すべての喜びの家、歓声に満ちていた町のために。

宮殿は捨てられ、町のにぎわいはうせ

高台と見張りの塔は、いつまでも獣の住みかとなり

野ろばが喜ぶ所、羊の群れが草を食む所となる。

しかし、ついに、高き所から

霊が私たちの上に注がれる。

すると、荒れ野は果樹園となり

果樹園は森と見なされる。

その時、荒れ野には公正が宿り

正義が果樹園に住む。

正義が造り出すものは平和。

正義が生み出すものは

とこしえに至る静けさと信頼である。

私の民は、平和な住まい、安全な家

心配の要らない安らぎの場に住む。

たとえ雹が降って森が倒され

町が低地へと落ち込んでも

あなたがたは幸いである。

すべての水のほとりに種を蒔き

牛やろばを自由に放牧するあなたがたは。

出典

(イザヤ書 32:9-20) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

「安逸を貪る女たちよ、起きて、私の声を聞け。安心しきった娘たちよ、私の言葉に耳を傾けよ。」この言葉は、私たちが目を覚まし、周囲の現実を直視することの重要性を教えてくれます。物質的な豊かさに埋もれているとき、私たちは往々にして霊的な警戒を怠ってしまいます。イザヤ書の中で語られるように、「一年と少したつと、あなたがたは震えおののく」。これは、無関心が生む警告です。

「ぶどうの収穫が消えうせ、取り入れの時が来ないからだ」との言葉は、私たちが見落としつつある大切なことを思い起こさせます。喜びの家や歓声に満ちた町が捨てられ、町のにぎわいが失われることは、いかに神の意志と共に生きることが難しいかを示しています。だが、希望は失われていません。「ついに、高き所から霊が私たちの上に注がれる」。正義が宿る時、荒れ野が果樹園となり、果樹園が森と見なされるようになります。

その時、正義こそが「平和」を生み出します。「正義が造り出すものは平和」であり、それは「とこしえに至る静けさと信頼」なのです。私たちが神の御心に従い、正義を求める時、真の平和が私たちの生活を満たすでしょう。「私の民は、平和な住まい、安全な家に住む」。たとえ逆境が訪れても、神が共におられる限り、私たちは幸いです。

この真理を心に刻み、日々の生活において実践していきましょう。正義と平和が共にある所にこそ、私たちの本当の安らぎがあるのです。

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