収穫の感謝を忘れずに-イエスの教えから学ぶ
(ヨハネによる福音書 4:31-38)
その間に、弟子たちが「先生、召し上がってください」と勧めると、
イエスは、「私には、あなたがたの知らない食べ物がある」と言われた。
弟子たちは、「誰かが食べ物を持って来たのだろうか」と互いに言った。
イエスは言われた。「私の食べ物とは、私をお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。
あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月ある』と言っているではないか。しかし、私は言っておく。目を上げて畑を見るがよい。すでに色づいて刈り入れを待っている。刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、蒔く人も刈る人も共に喜ぶのである。
『一人が蒔き、一人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。
私は、あなたがたを遣わして、あなたがたが自分で労苦しなかったものを刈り取らせた。ほかの人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」
(ヨハネによる福音書 4:31-38) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
収穫の時、私たちはしばしば自らの成果を誇りに思います。しかし、イエスは私たちに、その背後にある見えない働きに目を向けるよう教えます。「私の食べ物とは、私をお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げること」との言葉には、私たちが神の御心に従いながら働くことの重要性が示されています。人の手によって多くの努力がなされ、その成果が私たちに与えられるのです。これは「刈り入れまでまだ四か月ある」と言われる時期に、私たちがその喜びを見逃さないための教えです。
目を上げて、自らを取り巻く霊的な畑を見てみましょう。神はすでに多くの恵みを用意し、私たちをその豊かさへと導いています。霊的な収穫は、私たちが努力した結果だけでなく、他の多くの人々の信仰や努力の実りでもあります。「一人が蒔き、一人が刈り入れる」という言葉は、私たちの信仰生活を共に支え合う大切さを示唆しています。
私たちが日々の生活の中で受け取る恵みや供給の数々を感謝し、他者の労苦に思いを馳せることができるなら、より深い喜びが私たちを満たすでしょう。そして、私たちもまた、他者のために蒔く者として人生を歩むことが期待されています。このようにして、信仰に基づく収穫の喜びを分かち合い、共に神の栄光を讃えましょう。