安息とヨベル:逃れの町の意味と意義について
(民数記 35:9-15)
主はモーセに告げられた。
「イスラエルの人々に告げなさい。あなたがたがヨルダン川を渡って、カナンの地に入ったら、
幾つかの町を設けなさい。そこは逃れの町であり、過って人を殺した者はそこに逃げ込むことができる。
そこは、復讐する者から逃れるための町となり、人を殺した者であっても、会衆の前に立って裁きを受ける前に死ぬことはない。
あなたがたが定める六つの町が逃れの町となる。
すなわち、ヨルダン川の向こうに三つの町を定め、カナンの地に三つの町を定めて、これらを逃れの町とする。
これら六つの町は、イスラエルの人々ならびにその中にいる寄留者と滞在者にとって逃れの場所であり、過って人を殺した者は誰でもそこに逃げ込むことができる。
(民数記 35:9-15) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
主はモーセに告げられました。「イスラエルの人々に告げなさい、あなたがたがヨルダン川を渡ってカナンの地に入るとき、逃れの町を設けることを。」この言葉は、神が人々に与える安息の象徴であり、正義と赦しの御計画を示しています。
逃れの町の制度は、過って人を傷つけた者に対する神の慈悲を表しています。人が犯した過ちは、決してその命を絶つ理由にはなりません。神は人々に、どんなに大きな間違いを犯したとしても、回復の機会を与えることを望んでおられるのです。この聖句は、私たちが互いに許し合うことの大切さを教えてくれます。
「あなたがたが定める六つの町が逃れの町となる」と言われているように、これらの町は、傷ついた者や不幸な状況に置かれた者にとっての避難所であり、心の安息を得る場所です。そのように神は、私たちに対しても不完全な存在であることを理解し、愛によって私たちを包み込む用意をしてくださっています。
この逃れの町は、単に物理的な場所だけではなく、神の恵みを象徴する精神的な意味合いを持っています。私たちが困難な時や決断に迷う時こそ、神に心を寄せ、その導きを求めることで、安息と癒しを見出すことができるのです。このように、聖書の言葉は時を超えて私たちに温かいメッセージを届けています。信仰を持つことによって、私たちもまた他者に安息をもたらす存在になれるのです。