共にいる神-ヨハネによる福音書の教え
(ヨハネによる福音書 16:4-11)
しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、私が彼らについて語ったのだということを、あなたがたに思い出させるためである。」
しかし今私は、私をお遣わしになった方のもとに行こうとしている。それなのに、あなたがたのうち誰も、『どこへ行くのか』と尋ねる者はいない。
かえって、私がこれらのことを話したので、あなたがたの心は苦しみで満たされている。
しかし、実を言うと、私が去って行くのは、あなたがたのためになる。私が去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。私が行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。
その方が来れば、罪について、義について、また裁きについて、世の誤りを明らかにする。
罪についてとは、彼らが私を信じないこと、
義についてとは、私が父のもとに行き、あなたがたがもはや私を見なくなること、
また裁きについてとは、この世の支配者が裁かれたことである。
(ヨハネによる福音書 16:4-11) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
主は私たちに語ります。「これらのことを話したのは、その時が来たときに、私が彼らについて語ったのだということを思い出させるためである。」この言葉は私たちに深い思索を促します。行くべき方向が見えなくなったとき、私たちは神の導きを求める必要があります。「私が去って行くのは、あなたがたのためになる」との言葉は、私たちの心に安らぎをもたらします。この去就が私たちにどのような影響を与えるか、考えてみましょう。
主が語る通り、弁護者が私たちのもとに来ることは非常に大きな恵みです。聖霊は私たちの内に住み、罪、義、裁きについての真理を明らかにします。「罪については、彼らが私を信じないこと」と教えられます。この世の中で、信じることがどれほど大切かを再認識する必要があります。私たちの信仰が試されるとき、聖霊が共にいて支えてくださるのです。
「義については、私が父のもとに行き、あなたがたがもはや私を見なくなること」との主の教えは、私たちに神の正義を思い知らせます。信じる者としての歩みは、個人だけでなく共同体全体に影響を与えます。裁きについても、この世の支配者が裁かれたことを忘れてはいけません。最終的には、神の正義がすべてを覆います。
この聖句は、私たちが日常生活の中で神を認識し、信じる勇気を持つための道しるべです。共にいる神を感じながら、私たちの心は平穏を得て、日々の課題に立ち向かうことができます。