イエスの十字架に隠された真実とは-聖書の教え

(ヨハネによる福音書 18:19-24)

原文

大祭司はイエスに、弟子のことや教えについて尋ねた。

イエスはお答えになった。「私は、世に向かって公然と話してきた。私はいつも、ユダヤ人が皆集まる会堂や神殿の境内で教えた。隠れて語ったことは何もない。

なぜ、私に尋ねるのか。私が何を話したかは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。その人々が私の話したことを知っている。」

イエスがこう言われると、そばにいた下役の一人が、「大祭司に向かって、そんな返事のしかたがあるか」と言って、イエスを平手で打った。

イエスはお答えになった。「何か悪いことを私が言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。正しいことを言ったのなら、なぜ私を打つのか。」

アンナスは、イエスを縛ったまま、大祭司カイアファのもとに送った。

出典

(ヨハネによる福音書 18:19-24) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

イエスの十字架の物語は、私たちに真実と信仰を問いかけています。大祭司がイエスに尋ねたとき、彼は堂々と答えました。「私は、世に向かって公然と話してきた。隠れて語ったことは何もない。」ここでイエスは、彼の教えが偽りではなく、透明であることを示しています。信じる者にとって、この言葉は重要な聖句です。

彼の無実を訴える姿勢は、信仰の深さを表しています。下役が彼を打ったとき、イエスは逆に自らを問います。「何か悪いことを私が言ったのなら、その悪いところを証明しなさい。」この名言は、私たちが不当に扱われたとき、どう行動すべきかを教えてくれます。

イエスは、怒りや復讐よりも正義を求めました。そして、彼の無実の叫びは、その後の救いの道を開くものとなります。私たちはこの教えを胸に、日々の生活で他者に対してどのように接すべきかを考える必要があります。

イエスの言葉は、愛と忍耐、そして正義を重んじるものでした。彼には敵がいても、真実を追い求める姿勢は変わりませんでした。私たちも、日々の生活の中でこの姿勢を持ち続けることが求められています。信仰を持ち続けることで、困難な状況にあっても希望を見いだすことができます。

このように、イエスの教えは古代のものであると同時に、現代の私たちにとっても力強いメッセージを送っています。彼の言葉に耳を傾け、心に留めることで、私たちは人生の試練を乗り越えていくことができるのです。

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