キリストの体なる教会-一つのパン、一つの体
(コリントの信徒への手紙一 10:15-17)
私は賢い人たちに話すように話します。私が言うことを自分で判断しなさい。
私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血との交わりではありませんか。私たちが裂くパンは、キリストの体との交わりではありませんか。
パンは一つだから、私たちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンにあずかるからです。
(コリントの信徒への手紙一 10:15-17) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
私たちの信仰の根源にあるその真理は、キリストの教えによって私たちを結びつけています。聖書において、特にコリントの信徒への手紙の中で、パウロは私たちに重要なことを教えています。「私は賢い人たちに話すように話します。私が言うことを自分で判断しなさい」という言葉は、私たちに信仰の真理を自ら考えることの重要性を示しています。
さらに、私たちが祝福する「杯」は、キリストの血との交わりを象徴しています。そして、私たちが裂く「パン」は、キリストの体との交わりであることを理解することが大切です。このように、私たちは一つのパンを分かち合うことで、互いに密接に結びついた「一つの体」となります。
教会は多様な人々の集まりですが、その中で私たちが享受する祝福は、キリストによって一つにされているのです。私たちの信仰の道は、決して孤独ではありません。共に神の愛を知り、分かち合うことで、私たちは一つの共同体としての意味を見出します。
私たちがキリストにあずかるとき、私たちはただ一人ひとりが救済された存在であるだけでなく、教会という体の中で共に生きる者とされます。この教会の交わりにおいてこそ、私たちは本当の祝福を受け取ることができるのです。信じて、共にその祝福にあずかりましょう。