悔改めへの招き:神の御心に適った悲しみとは

(コリントの信徒への手紙二 7:5-10)

原文

マケドニアに着いたとき、私たちの身には全く安らぎがなく、さまざまな苦しみに遭っていました。外には戦い、内には恐れがあったのです。

しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスの到着によって私たちを慰めてくださいました。

テトスが来てくれたことによってだけではなく、彼があなたがたから受けた慰めによっても、慰めてくださったのです。あなたがたが私を慕い、私のために嘆き悲しみ、私に対して熱心であることを彼が伝えてくれたので、私はいっそう喜んだのです。

あの手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、今は後悔していません。確かに、あの手紙が一時的にせよ、あなたがたを悲しませたことは知っています。たとえ後悔していたとしても、

今は喜んでいます。あなたがたが悲しんだからではなく、悲しんで悔い改めたからです。あなたがたが悲しんだのは神の御心に適ったことであって、私たちからは何の害も受けなかったのです。

神の御心に適った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせ、この世の悲しみは死をもたらします。

出典

(コリントの信徒への手紙二 7:5-10) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

私たちは、生活の中で多くの苦しみに直面することがあります。特に内なる恐れや外なる戦いは、心を傷つけ、不安を引き起こします。しかし、そんな時こそ気落ちした者を慰めてくださる神に頼るべきです。神は私たちを愛し、必要なときに助けてくださいます。

コリントの信徒への手紙第2において、使徒パウロはこの真理を語ります。「私たちの身には全く安らぎがなく」と言いながら、彼は神がどのように慰めをもたらしてくださるかを示します。テトスの到着により、パウロは慰められただけでなく、彼らがパウロを慕い、彼のために嘆き悲しんでいることを知ったことで、さらなる喜びを得ました。このエピソードは、私たちが互いに寄り添うことの重要性を強調しています。

時には辛い言葉や手紙が私たちを悲しませることもあるでしょう。しかし、その悲しみが神の御心に適ったものであれば、それは悔い改めをもたらし、救いに導く道となります。「神の御心に適った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせます。」これは、痛みを伴う過程ですが、真実の喜びと平安へと至るものです。

私たちが自らの過ちに気づき、神に立ち返ることで、心の中に新たな命が宿るのです。この悔改めは、過去の怨みや悲しみを解放し、真の癒しをもたらします。神の御心に従い、悔い改めることは、心からの喜びを得るための鍵です。この聖句は私たちに、その一歩を踏み出す勇気を与えてくれます。あなたも、心の悔改めを持って、次のステップへ進んでください。

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