神の前に立つ個人と聖句の力

(哀歌 3:1-27)

原文

私は主の怒りの杖で苦しみを受けた者。

主は私を駆り立て

光ではなく闇の中を歩かせた。

そして、一日中幾度となく

御手で私を責められた。

私の肉と皮膚とを衰えさせ

骨を砕かれた。

私を取り囲み

苦難と辛苦で包んだ。

はるか昔の死者のように

私を暗闇に住まわせた。

私が逃げられないように

主は周囲に石垣を築き

青銅の枷を重くされた。

たとえ私が助けを求めて叫んでも

主は私の祈りを聞き入れない。

私の行く手に切り石で壁を築き

通り道を曲げられた。

主こそ、私を待ち伏せる熊、隠れ潜む獅子。

主は私を道からそらし

引き裂き、見捨てられた。

弓を引き絞り

矢の的として立たせた。

主は矢筒の矢を何本も

私の腎臓に打ち込まれた。

私はわが民すべての笑い物となり

一日中彼らの嘲りの歌となった。

主は私を苦い汁に飽かせ

苦よもぎで酔わせられた。

砂利で私の歯を押し潰し

灰で私を覆われた。

私の魂は平和を失い

幸福を忘れてしまった。

私は言った。

「私の栄光は消えうせた

主から受けた希望もまた。」

私の苦難と放浪を

苦よもぎと毒草を思い起こしてください。

思い出す度に私の魂は沈む。

しかし、そのことを心に思い返そう。

それゆえ、私は待ち望む。

主の慈しみは絶えることがない。

その憐れみは尽きることがない。

それは朝ごとに新しい。

あなたの真実は尽きることがない。

「主こそ私の受ける分」と私の魂は言い

それゆえ、私は主を待ち望む。

主は、ご自分に希望を置く者に

ご自分を探し求める魂に恵み深い。

主の救いを黙して待ち望む者に恵み深く

若い時に軛を負う者に恵み深い。

出典

(哀歌 3:1-27) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

主の怒りの杖のもとで私は苦しむ者となりました。主は私を闇の中で歩かせ、私の肉と皮膚を衰えさせ、骨までも砕かれました。私を取り囲む苦難は、まるで石垣に囲まれたように重く、助けを求める叫びも主に聞き入れられません。私は周囲に築かれた壁に阻まれ、道を曲げられてしまいました。

主は、待ち伏せる熊のように潜み、私を道からそらして引き裂き、見捨てられたかのように感じました。一日中、嘲りの歌となり、私はわが民の笑いものとなったのです。心は苦い汁に飽かされ、幸福は消えてしまいました。

しかし、私は思い返し、希望を抱くことを忘れてはいけません。主の慈しみと憐れみは、決して絶えることがないのです。それは朝ごとに新しく、私の精力はそこから蘇ります。「主こそ私の受ける分」と私の魂は言い、ゆえに私は待ち望むのです。主は希望を置く者に恵み深く、救いを黙して待ち望む者にも、いつも恵みを与えてくださいます。若い時に軛を負う者にも、その恵みをもって導いてくださるのです。

この苦難の中においても、私たちは主の一貫した真実に信頼し続けることが求められます。私たちの心の内に主の言葉を思い返し、常に希望を持ち続けることが大切です。主はいつも私たちと共におられ、助けを求める者に光を与えてくださるのです。

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