兄弟の弱さを負う-信仰と理解の大切さを教える聖句
(ローマの信徒への手紙 14:1-6)
信仰の弱い人を受け入れなさい。その考えを批判してはなりません。
何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べているのです。
食べる人は、食べない人を軽んじてはならないし、また、食べない人は、食べる人を裁いてもなりません。神がその人を受け入れてくださったのです。
他人の召し使いを裁くあなたは、一体何者ですか。召し使いが立つのも倒れるのも、その主人次第です。しかし、召し使いは立つでしょう。主がその人を立たせることがおできになるからです。
ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます。おのおの自分の考えに確信を持つべきです。
特定の日を重んじる人は主のために重んじます。食べる人は主のために食べます。神に感謝しているからです。また、食べない人も主のために食べません。神に感謝しているからです。
(ローマの信徒への手紙 14:1-6) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
私たちは、信仰の弱い人を受け入れなければなりません。その考えを批判することは許されません。食べることを自由とし、何でも食べると信じる者もいれば、野菜だけを食べることで信仰を示す者もいます。このような一見対立する信念を持つ者同士が共に歩むことができますように、神の愛に基づいて受け入れ合うことが大切です。
食べる者は、食べない者を軽んじてはならず、食べない者は食べる者を裁くこともありません。なぜなら、神がそれぞれの人を受け入れてくださっているからです。他人を裁くことは、私たちに与えられた権利ではなく、私たち自身も神の前に立つ一人の召し使いであることを忘れてはなりません。
私たちの信仰や習慣は、日々異なる面を持っています。特定の日を重んじる者がいれば、すべての日を等しく見る者もいます。とはいえ、どちらも自分の信念に確信を持ち、神のために生きることが求められています。食べる者は主に感謝し、食べない者も主に感謝しているのです。このように、信仰の表現は異なるものの、私たちの中心にあるのは神への感謝と愛です。
互いに理解し合うことができれば、私たちは神の愛に満たされた共同体を形成することができるでしょう。その中で、兄弟の弱さを負い、共に成長することが主の願いでもあるのです。信仰は一つの道のように、私たちを引き合わせ、分かち合う力となります。手を取り合い、共に主を讃えましょう。