神の愛と悔い改めのメッセージ

(エゼキエル書 33:10-13)

原文

人の子よ、あなたはイスラエルの家に言いなさい。あなたがたはこう言った。『我々の背きと罪は我々の上にあり、そのため我々は痩せ衰える。どうして生きることができようか』と。

彼らに言いなさい。私は生きている――主なる神の仰せ。私は悪しき者の死を決して喜ばない。むしろ、悪しき者がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、悪の道から立ち帰れ。イスラエルの家よ、あなたがたがどうして死んでよいだろうか。

人の子よ、あなたは同胞に言いなさい。正しき者の正義も、背くときには自分を救うことができない。また、悪しき者の悪も、その悪から立ち帰るときには、それによってつまずくことはない。正しき者も、罪を犯すときは、その正義によって生きることはできない。

私が正しき者に『あなたは必ず生きる』と言っても、その人が自分の正義に頼って不正を行うなら、その人のすべての正義は思い起こされず、行った不正のゆえに、その人は死ぬ。

出典

(エゼキエル書 33:10-13) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

エゼキエル書33章10節から13節において、神はイスラエルの民に向けて強いメッセージを送っています。彼らは自らの背きと罪を嘆き、どのように生きることができるかを問いました。こうした姿勢には、神への絶望感が見受けられますが、神は決して彼らの死を望んでいません。むしろ、悔い改めを通して彼らが生きることを願っています。これは、今日の私たちにも共通する真理です。

神は、「私は生きている」と宣言し、悪しき者の死を喜ばないことを強調します。罪を犯した人々がその罪から立ち帰り、真の命を見出すことこそが神の心であり、彼はそのために私たちを呼びかけています。このメッセージは、私たちに悔い改めの重要性と、神の無限の愛を示しています。

さらに、正しき者についても言及されています。私たちが自らの正義に安住し、罪に目を背けることの危険性を警告しています。どんなに正しい行いを重ねていても、一度でも罪を犯せばその人の正義は無に帰すという厳しい現実。これにより、私たちは日々、誠実に神の前に生き、常に悔い改めを求める姿勢が大切であることを教えられます。

神は私たちに生きる道を示し、悔い改めによって新しい命を与えたいと願っておられます。このメッセージを受け入れ、日々の生活の中で神に立ち帰ることこそが、私たちの真の生きる方法であり、幸福への道であるのです。

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