いのちのみことば-永遠の命を与えるイエスの教え
(ヨハネによる福音書 6:52-69)
それで、ユダヤ人たちは、「どうしてこの人は自分の肉を我々に与えて食べさせることができるのか」と言って、互いに議論し合った。
イエスは言われた。「よくよく言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。
私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる。
私の肉はまことの食べ物、私の血はまことの飲み物だからである。
私の肉を食べ、私の血を飲む者は、私の内にとどまり、私もまたその人の内にとどまる。
生ける父が私をお遣わしになり、私が父によって生きるように、私を食べる者も私によって生きる。
これは天から降って来たパンである。先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は永遠に生きる。」
これらは、イエスがカファルナウムの会堂で教えていたときに話されたことである。
弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「これはひどい話だ。誰が、こんなことを聞いていられようか。」
イエスは、弟子たちがこうつぶやいているのに気付いて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。
それでは、人の子が元いた所に上るのを見たら、どうなるのか。
命を与えるのは霊である。肉は何の役にも立たない。私があなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
しかし、あなたがたの中には信じない者がいる。」イエスは最初から、信じない者が誰であるか、また、ご自分を裏切る者が誰であるかを知っておられたのである。
そして、言われた。「こういうわけで、私はあなたがたに、『父が与えてくださった者でなければ、誰も私のもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。
そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも去ろうとするのか」と言われた。
シモン・ペトロが答えた。「主よ、私たちは誰のところへ行きましょう。永遠の命の言葉を持っておられるのは、あなたです。
あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じ、また知っています。」
(ヨハネによる福音書 6:52-69) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
イエスは言われました。「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」と。これは我々にとって非常に重要な教えです。私たちの内に命を持つためには、イエスの肉を食べ、血を飲むことが必要であるとされます。これは単なる物理的な食事ではなく、霊的な食事を意味しています。
イエスは「私の肉はまことの食べ物、私の血はまことの飲み物である」と続け、彼を通じて与えられる命の本質を強調されました。信じる者はイエスの内にとどまり、イエスもその者の内にとどまるのです。この神秘的な結びつきは、私たちに永遠の命をもたらします。
しかし、弟子たちの中には「これはひどい話だ」と感じる者もいました。肉が何も役に立たないという彼の言葉に、つまずく心もあったのです。そこには人間の理解を超えた神の真理が隠されています。イエスは、「命を与えるのは霊である」と教え、私たちに真の食べ物としての彼の言葉を信じるように求めています。
彼はさらに言います。「父が与えてくださった者でなければ、誰も私のもとに来ることはできない」と。これに対し、シモン・ペトロは「私たちは誰のところへ行きましょう。永遠の命の言葉を持っておられるのは、あなたです」と答えました。この言葉には、真の信仰が表れています。
イエスの教えは挑戦的であり、信じることの大切さを教えています。命の源である彼を信じることで、私たちは新しい生へと導かれるのです。私たちの日々の生活の中で、これらの「聖句」を思い出し、信仰を深めていきたいものです。