十字架をとって生きる-イエスの言葉に従う意味
(ヨハネによる福音書 21:18-22)
よくよく言っておく。あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたい所へ行っていた。しかし、年を取ると、両手を広げ、他の人に帯を締められ、行きたくない所へ連れて行かれる。」
ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すことになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「私に従いなさい」と言われた。
ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子が付いて来るのを見た。この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸元に寄りかかったまま、「主よ、あなたを裏切るのは誰ですか」と言った人である。
ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。
イエスは言われた。「私の来るときまで彼が生きていることを、私が望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、私に従いなさい。」
(ヨハネによる福音書 21:18-22) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
主は私たちに言われます。「あなたは、若いときは自分の意のままに歩んでいたが、年を取ると他人に導かれ、行きたくない場所へ連れて行かれる。」これは、私たちの人生の旅路における神の計画を示しています。時として、私たちが思い描いていた道とは異なる方向へ導かれることがあります。しかし、神の栄光はその中にあるのです。
ペトロへの言葉は、私たちにとっても大切なメッセージです。「私に従いなさい」との呼びかけは、イエスが私たちをどれほど愛し、私たちのために計画を持っておられるかを示しています。時として、他人の歩みや生き方に目を向け、羨むこともあるでしょう。「この人はどうなるのか」と問いかけるペトロの姿を通して、私たちは信仰の道を歩む際に、焦点を合わせるべきは他者ではなく、イエス・キリストであることを再確認します。
主は私たちをそれぞれの人生の道へと招いています。この瞬間も、私たちがどのような状況にあっても、イエスに従うことこそが真の自由と祝福をもたらすのです。私たちの足元に示された神の導きを信じ、十字架を担いで歩む勇気を持ちましょう。信仰の中で生きることが、計り知れない恵みであることを心に留めていきたいのです。主に従うことが、私たちに与えられた最大の祝福であるからです。私たちの歩みが、神の栄光を現すものでありますように。