新しい自由-愛によって義を得る聖句
(ガラテヤの信徒への手紙 5:4-13)
律法によって義とされようとするなら、あなたがたは、キリストとは無縁の者となり、恵みを失ってしまいます。
私たちは、霊により、信仰に基づいて義とされる希望を、心から待ち望んでいます。
キリスト・イエスにあっては、割礼の有無は問題ではなく、愛によって働く信仰こそが大事なのです。
あなたがたはよく走っていたのに、誰が邪魔をして真理に従わないように勧めたのですか。
そのような勧めは、あなたがたを召し出しておられる方から出たものではありません。
僅かなパン種が生地全体を膨らませるのです。
私は主にあって、あなたがたが別な考えを持つことはないと確信しています。あなたがたをかき乱す者は、誰であろうと、裁きを受けます。
きょうだいたち、私が今なお割礼を宣べ伝えているとするなら、今なお迫害を受けているのは、なぜですか。割礼を宣べ伝えているなら、十字架のつまずきは無効になっていたことでしょう。
あなたがたをかき乱す人は、自ら去勢してしまえばよいのです。
きょうだいたち、あなたがたは自由へと召されたのです。ただ、この自由を、肉を満足させる機会とせず、愛をもって互いに仕えなさい。
(ガラテヤの信徒への手紙 5:4-13) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
私たちは、キリスト・イエスにあって新しい自由へと召されています。しかし、この自由は、肉を満足させるための機会ではなく、互いに愛をもって仕え合うためのものであることを忘れてはなりません。聖句は私たちに、律法によって義を得ようとすることが、キリストから遠ざかることであると警告しています。「あなたがたは、霊により、信仰に基づいて義とされる希望を、心から待ち望んでいます」。これは私たちが日々、神の恵みに満ちた生活を送るための力強いメッセージです。
人が私たちを惑わす言葉によって真理から逸れさせようとする時、私たちはその声に耳を傾けるべきではありません。ほんの少しの誤りでも、多くの人の中に誤解が広がってしまうことを聖句は教えています。しかし、私たちは真に召された者として強い信仰をもって、互いの信仰を励まし合う責任があります。自由を与えられた私たちは、愛の行動によって、自らの信仰を実体化すべきなのです。
また、キリストの十字架によって与えられた救いを忘れてはいけません。私たちは、愛によって行動する信仰を持っている限り、どんな迫害や困難に立ち向かう力をもらえるでしょう。そして「あなたがたをかき乱す者は、誰であろうと、裁きを受けます」という言葉が、私たちの心に安心感をもたらしてくれます。
神は私たちを愛し、新しい自由を与えてくださいました。この自由を受け入れ、愛をもって互いに仕える生活をしてこそ、私たちは真の恵みの中で生きることができるのです。この聖句を日々の生活の中に生かし、私たち自身、そして周囲の人々にその恵みを広めていきましょう。