争いを避けるための警告と愛-エゼキエル書からの聖句
(エゼキエル書 33:7-9)
人の子よ、私はあなたをイスラエルの家の見張りとした。あなたは私の口から言葉を聞き、私の警告を彼らに伝えなければならない。
私が悪しき者に向かって、『悪しき者よ、あなたは必ず死ぬ』と言うとき、あなたが悪しき者に警告し、その道から離れるように語らないなら、悪しき者は自分の過ちによって死に、私はその血の責任をあなたに求める。
しかし、あなたが悪しき者に、その道から立ち帰るように警告しても、その道から立ち帰らないなら、彼は自分の過ちによって死ぬが、あなたは自分の命を救う。
(エゼキエル書 33:7-9) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
人の子よ、私はあなたをイスラエルの家の見張りと定めた。あなたには、私の口から聞く言葉が与えられている。それは、今この時に警告を発し、愛を持って人々を導く使命である。あなたが悪しき者に向かって、「悪しき者よ、あなたは必ず死ぬ」と語る時、あなたの責任が問われる。悪しき者にその道を改めるように警告しないなら、彼は自らの過ちによって命を失い、その血の責任をあなたが追うことになる。しかし、もしあなたがその悪しき者に警告し、立ち帰りなさいと語りかけても、彼が立ち帰らないのなら、彼の死は彼自身の選択であり、あなたは自分の命を救うことができる。
この聖句は、私たちが他者に対して持つべき真摯な愛と責任を示している。私たちに与えられた言葉を通じて、他者に警告し、真理を伝えることは、時に困難である。しかし、私たちの使命はただ「ああ、良い人であり続ける」ことではなく、時に不快な真実を伝えることにあるのだ。そのため、争いを避けることに集中するだけでなく、愛をもって警告し続けることが求められていると言える。
私たちがこの世の中に生きる中で、愛と真実を伝えるためには、勇気と忍耐が必要である。目の前の人々にとって、私たちが発信する聖句が救いの手となるよう、常に意識していかねばならない。この使命を果たすために、日々の祈りと学びを通じて、より深く神の御心を理解し、他者に対して愛をもって接することを心がけよう。