他人を赦す-マタイによる福音書からの教訓
(マタイによる福音書 18:28-33)
ところが、この家来は外に出て、百デナリオン貸している仲間の一人に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』と頼んだ。
しかし、承知せず、行って、借金を返すまでその人を牢に入れた。
仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君に一部始終を報告した。
そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届き者。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。
私がお前を憐れんでやったように、お前も仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』
(マタイによる福音書 18:28-33) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
赦しの美徳は、聖書の中でも特に強調されているテーマの一つです。マタイによる福音書の教えにおいて、ある家来が主君から莫大な借金を赦される場面が描かれています。しかし、その家来が同じように自分の仲間に対して冷酷であったことが、物語の中心となります。仲間が必死に助けを求める姿に対して、彼は心を閉ざし、容赦なく借金を要求しました。この出来事は、私たちが他者に対して持つべき心の姿勢を問いかけるものです。
聖句の中で、主君はその家来に言います。「私がお前を憐れんでやったように、お前も仲間を憐れんでやるべきではなかったか。」これは私たちへの重要なメッセージです。私たちも神から赦しを受けた身であるならば、同じように他の人を赦す必要があります。人の心は、しばしば傷つきやすく、許すことが難しいと感じることがあります。しかし、赦しこそが真の信仰の証であり、他者との絆を深めるための第一歩です。
「赦し」や「哀れみ」は人格の一部として、私たちにも備わっているべきものです。これを実践することで、神の愛を周囲に示すことができるでしょう。聖書の言葉に耳を傾け、日々の生活の中で他人を赦す勇気を持ち続けたいものです。このようにして、赦しの本質を理解し、実行することが、信仰者としての私たちの歩みをより豊かにしてくれるのです。