信仰によって生きる-使徒言行録に学ぶ真実の勇気
(使徒言行録 25:8-12)
パウロは、「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても、何の罪も犯したことはありません」と弁明した。
しかし、フェストゥスはユダヤ人に気に入られようとして、パウロに言った。「お前は、エルサレムに上って、そこでこれらのことについて、私の前で裁判を受けたいと思うか。」
パウロは言った。「私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。閣下もよくご存じのように、私はユダヤ人に対して何も悪いことをしていません。
もし、悪いことをし、何か死刑に当たることをしたのであれば、死を免れようとは思いません。しかし、この人たちの訴えが事実無根なら、誰も私を彼らに引き渡すことはできません。私は皇帝に上訴します。」
そこで、フェストゥスは陪席の人々と協議してから、「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」と答えた。
(使徒言行録 25:8-12) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
聖書において、パウロの姿は信仰による生き方の象徴として特に際立っています。彼はエルサレムでの裁判を前に、明確に信仰を表明しました。「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても、何の罪も犯したことはありません」と弁明した彼の言葉は、真実への揺るぎない姿勢を示しています。
人生の様々な困難や試練においても、私たちは信仰によって立ち向かうべきです。パウロは、証言していただけでなく、自らの信仰をもって誠実に生きる道を選びました。彼が「悪いことをし、何か死刑に当たることをしたのであれば、死を免れようとは思いません」と言ったのは、ただの強がりではなく、真理に対する深い理解のための声明であると言えます。
私たちも、日々の生活の中で、パウロのように真実を守る勇気を持ちたいものです。このように聖句は、信仰の力をもって状況に対処する大切さを教えてくれます。私たちに与えられた人生の試練は、時に甘くなく、また避けられないものですが、信仰を通して私たちは希望を見出すことができます。
最終的に、パウロが皇帝へ上訴を決断したことは、彼の信仰の正しさに対する確信を裏付けるものです。私たちも、信仰によって生き、真実を追求する者となることを心がけましょう。その道には、神の導きが伴い、最終的には安らぎと勝利が待っていることでしょう。