神のさばき-聖句から学ぶ人生の真実

(マタイによる福音書 13:34-43)

原文

イエスはこれらのことをみな、たとえを用いて群衆に語られ、たとえを用いずには何も語られなかった。

それは、預言者を通して言われたことが実現するためであった。

「私は口を開いてたとえを語り

天地創造の時から隠されていたことを告げよう。」

それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちが御もとに来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。

イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、

畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。

毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り取る者は天使たちである。

毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。

人の子は天使たちを遣わし、つまずきとなるものすべてと不法を行う者たちとを御国から集めて、

燃え盛る炉に投げ入れる。彼らは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。

その時、正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。耳のある者は聞きなさい。」

出典

(マタイによる福音書 13:34-43) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

イエスは群衆にたとえを用いて神のさばきを語った。「良い種を蒔く者は人の子、畑は世界だ」と。彼の言葉は、人生の選択が未来を決定することを教えている。悪い種である毒麦は、悪魔によって蒔かれたものであり、世の終わりに刈り取られる運命にある。

我々の日々の行動や選択は、神が見守る大いなる計画の一部である。イエスは言った、「耳のある者は聞きなさい」と。私たちは、どの種を選び、どのように生きるかを考えなければならない。良い行いは、正しい者としての光を放ち、父なる神の国で太陽のように輝くことにつながる。

一方で、毒麦、つまり悪しき行為は、永遠の裁きを受けることになる。イエスは、燃え盛る炉に投げ入れられることを警告し、正義の訪れを約束した。このたとえは、私たちがどの道を選択するかによって、最終的に異なる運命が待っていることを示している。

私たちは毎日、選択を迫られる。神のさばきを忘れずに、善なるものを選び取り、真理に従って生きることを選びたい。なぜなら、私たちの選択がやがて私たち自身の未来を形成するからである。私たちの耳がこの教えを聞き、心が響くことで、神の国に至る道を見出すことができるのだ。

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