神が求められることとその幸せ
(申命記 6:16-25)
あなたがたがマサで試したように、あなたがたの神、主を試してはならない。
あなたがたの神、主の戒めと、命じられた定めと掟を固く守り、
主の目に適う正しいことを行いなさい。そうすれば、あなたは幸せになり、主があなたの先祖に誓われた良い地に入り、これを所有して、
主が語られたとおり、すべての敵をあなたの前から追い払うことができる。
もしも将来、あなたの子が、「私たちの神、主が命じられた定めと掟と法とは何のためですか」と問うならば、
あなたの子にこう答えなさい。「私たちはエジプトでファラオの奴隷であった。しかし主は、力強い手によって私たちをエジプトから導き出した。
主は私たちの目の前でエジプトに対し、すなわち、ファラオとそのすべての家に対して、大いなる恐ろしいしるしと奇跡を行い、
私たちをそこから導き出した。それは私たちを導いて、私たちの先祖に誓われた地を与えるためであった。
そして主は、私たちにこれらの掟をすべて行うように命じ、私たちの神、主を畏れ、今日あるように、いつも幸せに生きるようにしてくださった。
命じられたとおり、私たちの神、主の前で、この戒めをすべて守り行うならば、それは私たちにとって義となるであろう。」
(申命記 6:16-25) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
主は私たちに求められること、それは気を引き締め、神の戒めを守ることです。神は私たちに誓われた約束の地へ導くために、力強い手で私たちをエジプトの奴隷から解放されました。神が示された驚くべき奇跡やしるしは、私たちが忘れてはならない恩恵です。私たちの先祖にも、これらの掟を守ることで幸せを得るための道が与えられています。
もし子どもたちが「なぜ私たちは神の掟を守るのか?」と尋ねるなら、その理由をしっかりと伝えましょう。私たちの信仰は、ただの形式的なものではなく、神への感謝と畏れの結果であることを教えなければなりません。それは、私たちの人生が神によって守られ、祝福されることと直結しています。
神の戒めを厳守し、心を込めて従うことによって、私たちは幸いな人生を送ることができます。聖書には、「あなたがたが神の命じられた定めを守るなら、それはあなたにとって義となる」と記されています。私たちの道を照らす光は、神の言葉によって与えられるのです。神を畏れ、従う者に、いつも幸せが豊かに流れ込みます。主の前にへりくだり、誠実に生きることで、私たちは真の喜びを知ることができるでしょう。