神の怒りと和らぎ:信仰と謙遜の教え

(ローマの信徒への手紙 11:17-22)

原文

しかし、ある枝が折り取られ、野生のオリーブであるあなたがそれに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けているからといって、

あなたは、折り取られた枝に対して誇ってはなりません。誇ったところで、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。

すると、あなたは、「枝が折り取られたのは、私が接ぎ木されるためだった」と言うでしょう。

そのとおりです。ユダヤ人は不信仰のために折り取られ、あなたは信仰によって立っています。思い上がってはなりません。むしろ恐れなさい。

神が自然に生えた枝を惜しまなかったとすれば、恐らくあなたを惜しむこともないでしょう。

だから、神の慈しみと厳しさとを考えなさい。厳しさは倒れた者に向けられ、神の慈しみにとどまるかぎり、その慈しみはあなたに向けられるのです。そうでなければ、あなたも切り取られるでしょう。

出典

(ローマの信徒への手紙 11:17-22) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

神の恵みと慈しみは、私たちに向けられています。しかし、私たちがその恵みを受けることができるのは、神の根に接ぎ木されているからです。注目すべきは、私たちが誇ってはいけないという点です。野生のオリーブの枝である私たちは、根から養分を受けて成長する存在です。私たちの信仰は根の働きによって成立しているのです。

ユダヤ人が不信仰のために折り取られたことは、決して他人事ではありません。私たちも同じように信仰を失うことがあり、神の厳しさに直面する可能性があります。「枝が折り取られたのは、私が接ぎ木されるためだった」という考えは危険です。その根本にある神の意図や目的を理解しなければ、私たちもまた切り取られるリスクがあるのです。

神は常に私たちに慈しみを注いでいますが、その慈しみは私たちの信仰に基づいています。神の厳しさをしっかりと認識し、それに対して恐れを持ちましょう。神は自然に生えた枝を惜しまず、その厳しさが私たちに向けられるかもしれないのです。この思いを持ち続けることで、私たちは信仰を深め、神の慈しみにとどまることができるのです。

信仰を持つ者として、私たちの心を謙遜に保ち、神の教えをしっかりと受け止めることが求められています。神の言葉は私たちを正しく導くものです。神との関係を大切にし、誇ることなく、謙虚な心で日々を歩んでいきましょう。ここに、真の信仰の教えがあります。

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