待っている神-ホセア書の教えから学ぶ愛と憐れみ
(ホセア書 11:8-11)
エフライムよ
どうしてあなたを引き渡すことができようか。
イスラエルよ
どうしてあなたを明け渡すことができようか。
どうしてアドマのようにあなたを引き渡し
ツェボイムのように扱うことができようか。
私の心は激しく揺さぶられ
憐れみで胸が熱くなる。
私はもはや怒りを燃やさず
再びエフライムを滅ぼすことはない。
私は神であって、人ではない。
あなたのただ中にあって聖なる者。
怒りをもって臨むことはない。
主が獅子のようにほえると、彼らはその後に従う。
主がほえると
子らは海のかなたから震えながら駆けつける。
小鳥のようにエジプトから
鳩のようにアッシリアの地から
震えながら飛んで来る。
私は彼らをそれぞれの家に住まわせる
――主の仰せ。
(ホセア書 11:8-11) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
エフライムよ、私はあなたを引き渡すことができようか。私の心は激しく揺さぶられ、憐れみで胸が熱くなるのだ。イスラエルよ、どうしてあなたを明け渡すことができようか。私の怒りはもはや燃え上がらず、あなたを滅ぼすことはない。私は神である。人ではない、あなたのまとう聖なる者である。
この聖句は、神の愛と憐れみがいかに深いものであるかを示している。私たちはしばしば自らの罪や過ちによって神との関係が断絶していると感じるが、神は私たちを見捨てることはない。彼は私たちを大切に思い、常に私たちの帰りを待っておられる。
主が獅子のようにほえると、私たちの心はぴたりとその声に引き寄せられる。恐れを抱きながらも、私たちは神の呼びかけに応えようとする。海の彼方から、エジプトから、アッシリアの地から私たちが駆けつける姿は、まさに神のもとに帰る姿だ。このように、神は私たちをそれぞれの家に住まわせてくださる。私たちがどれだけ迷っても、神は常に私たちを迎え入れてくださる。
ここに、聖句の中にある神の愛が存在する。私たちの懺悔や悔い改めを待ち、優しく包み込むその姿勢は、私たちが理解すべき重要な教えである。神の愛は条件的なものではなく、無条件で深いものである。悩みや恐れを抱いているあなたに、今日もこの言葉が響き渡ることを願っている。常に愛し、許す神の存在を感じながら、私たちもまた他者を受け入れ、愛する者となりたいものである。