この世にあってキリストを崇める生き方
(フィリピの信徒への手紙 1:20-26)
そこで、私が切に願い、望んでいるのは、どんなことがあっても恥じることなく、これまでのように今も堂々と語って、生きるにも死ぬにも、私の身によってキリストが崇められることです。
私にとって、生きることはキリストであり、死ぬことは益なのです。
けれども、肉において生き続けることで、実りある働きができるのなら、どちらを選んだらよいか、私には分かりません。
この二つのことの間で、板挟みの状態です。私の切なる願いは、世を去って、キリストと共にいることであり、実は、このほうがはるかに望ましい。
しかし、肉にとどまるほうが、あなたがたのためにはもっと必要です。
こう確信しているので、私は世にとどまって、あなたがたの信仰の前進と喜びのために、あなたがた一同と共にいることになると思っています。
そうなれば、私が再びあなたがたのところに行くとき、キリスト・イエスにあるというあなたがたの誇りが、私ゆえに満ち溢れるでしょう。
(フィリピの信徒への手紙 1:20-26) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
私の切なる願いは、どんな状況にあっても恥じることなく、堂々とキリストを語り続けることです。生きることはキリストであり、死ぬことは益なのです。この二つの選択の間で、私は悩みます。世を去り、キリストと共にいることが望ましいと心から思う一方で、肉にとどまることであなた方に実りある働きをすることが必要だと確信しています。
ここでの生は、愛する兄弟姉妹の信仰の前進と喜びのためにあると考えます。私が世にとどまることは、あなた方のために必要な選択です。それを通じて、私が再びあなた方のもとへ行くとき、キリスト・イエスにあるあなた方の誇りが満ち溢れることでしょう。
私たちの生き様がどのようなものであれ、常にキリストを中心に置き、彼によって崇められることを念頭に置き続けたいと思います。信仰の旅路は決して容易ではありませんが、私たちがお互いに支え合い、喜びの中で成長していくことが神の御心にかなった道であると信じています。そのために、日々の生活の中で、キリストの教えを実践し続けることが求められます。彼により、私たちは与えられた使命を果たし、互いに励まし合いながら真理の道を歩んでいきましょう。