復活の信仰:聖なる者の復活の証
(使徒言行録 2:22-32)
イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、この方を通してあなたがたの間で行われた奇跡と不思議な業としるしとによって、そのことをあなたがたに示されました。あなたがた自身がご承知のとおりです。
このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手によって、はりつけにして殺したのです。
しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。
ダビデは、イエスについてこう言っています。
『私は絶えず目の前に主を見ていた。
主が私の右におられるので
私は揺らぐことがない。
それゆえ、私の心は喜び
私の舌は喜び躍った。
私の肉体もまた希望のうちに安らう。
あなたは私の魂を陰府に捨て置かず
あなたの聖なる者を朽ち果てさせない。
あなたは、命の道を私に示し
御前にいる私を喜びで満たしてくださる。』
きょうだいたち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあると、はっきり言えます。
ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人を王座に着かせると、神が堅く誓ってくださったことを知っていました。
そして、キリストの復活について予見して、
『彼は陰府に捨て置かれず
その肉体は朽ち果てなかった』と語りました。
神はこのイエスを復活させられたのです。私たちは皆、そのことの証人です。
(使徒言行録 2:22-32) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
イスラエルの民よ、耳を傾けてください。ナザレのイエスが神に遣わされた救い主であり、多くの奇跡やしるしを通して、神がその本質を示されたことを思い起こしましょう。私たちが見たその業は、神の計画の成就であり、あなたがた自身が目撃したことです。彼は神の定めた計画により、あなたがたに引き渡され、しかも律法を知らない者たちの手で辱められ、十字架にかけられました。
しかし、喜びの知らせがあります。神はイエスを死から復活させ、この復活を通して、彼が死に支配されたことは決してなかったと証明されました。このイエスについて、ダビデは預言し、こう言いました。「私は主を常に目の前に置いている。主がいますので、私は揺らぐことがない」と。彼は主の御前で心喜び、肉体もまた安らぎを得ると謳(よ)っています。そのなかで神は、彼の肉体を滅ぼさないと約束されました。
ダビデは亡くなり、今もなおその墓は私たちの記憶に残っていることを理解しましょう。彼が預言者であり、彼の子孫が神の王座に着くことが誓われたことは、歴史の事実です。そしてイエス・キリストの復活の約束を語り、彼が陰府に捨て置かれず、その肉体が朽ちることはないと告げられました。私たちは、神がイエスを復活させたその証人です。
復活の信仰は、私たちに希望を与え、永遠の命への道を示すものです。この聖なる者の復活により、私たちは喜びと安らぎに満たされることができるのです。信じる者にとって、この聖句は確かなる支えとなるでしょう。