新しい教えと敬虔の真理-聖書の教えに学ぶ

(テモテへの手紙一 6:1-7)

原文

軛の下にある奴隷は皆、自分の主人を十分に尊敬すべき人だと考えなさい。それは、神の御名と教えとが冒瀆されないためです。

主人が信者である場合は、きょうだいだからといって軽んじることなく、むしろ、いっそう熱心に仕えるべきです。その良い行いを受ける主人は信者であり、愛されている者だからです。

異なる教えを説き、私たちの主イエス・キリストの健全な言葉にも、敬虔に適う教えにも従わない者がいれば、

その人は気が変になっていて、何も分からず、議論をしたり言葉の争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、妬み、争い、冒瀆、邪推、

果てしのないいがみ合いが生じるのです。これらは、知性が腐って真理を失い、敬虔を利得の道と考える者たちの間で起こるものです。

もっとも、満ち足りる心を伴った敬虔は、大きな利得の道です。

私たちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。

出典

(テモテへの手紙一 6:1-7) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

私たちの心を励ます聖句によれば、奴隷たちは自らの主人を尊重すべきであり、そのことは神の名が冒瀆されないために重要です。たとえその主人が信者であっても、軽んじることなく、むしろ熱心に仕えることが求められています。このような行いは、互いに主に仕える愛を深める手段となるのです。

異なる教えを述べる者や、主イエス・キリストの健全な言葉に従わない者について、パウロは警告を発しています。彼らは知性を失い、無駄な議論や争いに陥り、妬みや冒瀆が生じることを示唆しています。そうした争いは、敬虔を利得と捉える腐敗した心から生じるものであり、私たちが真理を見失わないために注意が必要です。

一方で、満ち足りる心を伴った敬虔は大きな利得をもたらすことを教えています。私たちは無所有で生まれ、世においても何も持たずに去ります。この事実は、物質世界に縛られず、永遠の価値を見つめることの重要性を教えています。

この新しい教えを受け入れ、日々の生活の中で互いを愛し、仕える姿勢を持つことが私たちに求められているのです。そして、私たちがどのような状況に置かれても、主の愛をもって他者を尊重し、助け合うことで、真に価値ある生き方を実践していきましょう。敬虔を持つことが、私たちの生活における最大の富であることを忘れないでください。

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