だから、私の愛する人たち、いつも従順であったように、私がいたときだけでなく、いない今はなおさら、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。 あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。 何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。 そうすれば、とがめられるところのない純真な者となり、ゆがんだ邪悪な時代にあって、傷のない神の子どもとなって、この世で星のように輝き、 命の言葉をしっかり保つでしょう。こうして私は、無駄に走ったわけでも、無駄に労苦したわけでもなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。 さらに、たとえ、あなたがたの信仰のいけにえと奉仕の上に、私が供え物として注がれることになったとしても、私は喜びます。あなたがた一同と共に喜びます。 あなたがたも同じように喜びなさい。私と共に喜びなさい
(フィリピの信徒への手紙 2:12-18)
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日々の決断を照らす知恵の光
しかしキリストは、すでに実現している恵みの大祭司として来られました。人の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、もっと大きく、もっと完全な幕屋を通り、 雄山羊や若い雄牛の血によってではなく、ご自身の血によってただ一度聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。 雄山羊や雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖別し、その身を清めるとすれば、 まして、永遠の霊によってご自身を傷のない者として神に献げられたキリストの血は、私たちの良心を死んだ行いから清め、生ける神に仕える者としないでしょうか
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隣人を愛し、慈しむ心
サルディスにある教会の天使に、こう書き送れ。『神の七つの霊と七つの星を持つ方が、こう言われる。「私はあなたの行いを知っている。あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる。 目を覚ませ。死に瀕している残りの生活を立て直せ。私は、あなたの行いを、私の神の前で完全なものとは認めないからである。 それゆえ、どのように教えを受け、また聞いたかを思い起こして、それを守り通し、かつ悔い改めよ。もし、目を覚ましていないなら、私は盗人のように来る。私がいつあなたのもとに来るか、あなたには決して分からない。 しかし、サルディスには、僅かながら自分の衣を汚さなかった者たちがいる。彼らは、白い衣を着て私と共に歩む。そうするにふさわしい者たちだからである。 勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして私は、その名を決して命の書から消すことはなく、その名を私の父と天使たちの前で公に言い表す。 耳のある者は、霊が諸教会に告げることを聞くがよい。」』
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