しかしキリストは、すでに実現している恵みの大祭司として来られました。人の手で造られたのではない、すなわち、この世のもので

しかしキリストは、すでに実現している恵みの大祭司として来られました。人の手で造られたのではない、すなわち、この世のものではない、もっと大きく、もっと完全な幕屋を通り、 雄山羊や若い雄牛の血によってではなく、ご自身の血によってただ一度聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。 雄山羊や雄牛の血、また雌牛の灰が、汚れた者たちに振りかけられて、彼らを聖別し、その身を清めるとすれば、 まして、永遠の霊によってご自身を傷のない者として神に献げられたキリストの血は、私たちの良心を死んだ行いから清め、生ける神に仕える者としないでしょうか。 こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者なのです。それは、最初の契約の下で犯された違反の贖いとして、キリストが死んでくださった結果、召された者たちが、約束された永遠の財産を受けるためです。 というのは、遺言の場合、遺言者の死が条件です。 遺言は人が死んで初めて有効になるのであって、遺言者が生きている間は効力がありません。 だから、最初の契約も、血が流されずに成立したのではありません。 すなわち、モーセは、律法に従ってすべての戒めを民全体に告げたとき、水と深紅の羊毛とヒソプと共に、若い雄牛と雄山羊の血を取って、契約の書そのものと民全体とに振りかけ、 こう言いました。「これは、神があなたがたに命じられた契約の血である。」 また彼は、幕屋と礼拝に用いるあらゆる器具にも同様に血を振りかけました。 こうして、律法によれば、ほとんどすべてのものが血で清められます。血を流すことなしには赦しはありえないのです。

ところで、最初の契約にも、礼拝の規定と地上の聖所とがありました。

すなわち、第一の幕屋が設けられ、そこには燭台、台、供

ところで、最初の契約にも、礼拝の規定と地上の聖所とがありました。 すなわち、第一の幕屋が設けられ、そこには燭台、台、供えのパンがありました。この幕屋が聖所と呼ばれるものです。 また、第二の垂れ幕の後ろには、至聖所と呼ばれる幕屋がありました。 そこには、香をたく金の祭壇と全面を金で覆われた契約の箱があり、その中にはマナの入った金の壺、芽を出したアロンの杖、契約の石板がありました。 また、箱の上では、栄光のケルビムが贖いの座を覆っていました。これらについて、今は一つ一つ述べることはできません。 以上のものがこのように整えられると、祭司たちは礼拝を行うために、いつも第一の幕屋に入ります。 しかし、第二の幕屋には年に一度、大祭司だけが入りますが、自分のためと民の過失のために献げる血を、必ず携えて行きます。 これによって聖霊は、第一の幕屋が存続しているかぎり、聖所への道はまだ明らかにされていないことを示しておられます。 この幕屋とは、今という時代の比喩です。そこでは、供え物やいけにえが献げられますが、礼拝する者の良心を完全にすることはできません。 それらは、ただ食べ物と飲み物と種々の洗い清めに関するものであり、改革の時まで課せられている肉の規定にすぎません。

こういうわけで、私たちは主を畏れることを知っているので、人々の説得に努めます。私たちのことは、神の前に明らかにされていま

こういうわけで、私たちは主を畏れることを知っているので、人々の説得に努めます。私たちのことは、神の前に明らかにされていますが、あなたがたの良心にも明らかになることを、私は望みます。 私たちは、あなたがたにもう一度自己推薦をしようとするのではありません。ただ、内面ではなく外面を誇る者たちに向かって、私たちのことを誇る機会をあなたがたに提供しようとしているのです。 私たちが正気でなかったというなら、それは神のためであったし、正気であるなら、それはあなたがたのためです。 事実、キリストの愛が私たちを捕らえて離さないのです。私たちはこう考えました。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人が死んだのです。 その方はすべての人のために死んでくださいました。生きている人々が、もはや自分たちのために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きるためです。 それで、私たちは、今後誰をも肉に従って知ろうとはしません。かつては肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。 だから、誰でもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、まさに新しいものが生じたのです。 これらはすべて神から出ています。神はキリストを通して私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに授けてくださいました。 つまり、神はキリストにあって世をご自分と和解させ、人々に罪の責任を問うことなく、和解の言葉を私たちに委ねられたのです。 こういうわけで、神が私たちを通して勧めておられるので、私たちはキリストに代わって使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神の和解を受け入れなさい。 神は、罪を知らない方を、私たちのために罪となさいました。私たちが、その方にあって神の義となるためです。

ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」

イエス

ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」 イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、 二人は言った。「栄光をお受けになるとき、私どもの一人を先生の右に、一人を左に座らせてください。」 イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているのか、分かっていない。この私が飲む杯を飲み、この私が受ける洗礼(バプテスマ)を受けることができるか。」 彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたは、私が飲む杯を飲み、私が受ける洗礼(バプテスマ)を受けることになる。 しかし、私の右や左に座ることは、私の決めることではない。定められた人々に許されるのだ。」 ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。 そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、諸民族の支配者と見なされている人々がその上に君臨し、また、偉い人たちが権力を振るっている。 しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者となり、 あなたがたの中で、頭になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。 人の子は、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

世から選んで私に与えてくださった人々に、私は御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたは私に与えてくださいまし

世から選んで私に与えてくださった人々に、私は御名を現しました。彼らはあなたのものでしたが、あなたは私に与えてくださいました。彼らはあなたの言葉を守っています。 私に与えてくださったものはみな、あなたから出たものであることを、今、彼らは知っています。 なぜなら、私はあなたからいただいた言葉を彼らに与え、彼らはそれを受け入れて、私が御もとから出て来たことを本当に知り、あなたが私をお遣わしになったことを信じたからです。 彼らのためにお願いします。世のためではなく、私に与えてくださった人々のためにお願いします。彼らはあなたのものだからです。 私のものはすべてあなたのもの、あなたのものは私のものです。私は彼らによって栄光を受けました。 私は、もはや世にはいません。彼らは世におりますが、私は御もとに参ります。聖なる父よ、私に与えてくださった御名によって彼らを守ってください。私たちのように、彼らも一つとなるためです。 私は彼らと一緒にいる間、あなたが与えてくださった御名によって彼らを守りました。私が保護したので、滅びの子のほかは、誰も滅びませんでした。聖書が実現するためです。 しかし今、私は御もとに参ります。世にいる間に、これらのことを語るのは、私の喜びが彼らの内に満ち溢れるようになるためです。 私は彼らに御言葉を伝えましたが、世は彼らを憎みました。私が世から出た者でないように、彼らも世から出た者ではないからです。 私がお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです。 私が世から出た者でないように、彼らも世から出た者ではありません。 真理によって、彼らを聖なる者としてください。あなたの言葉は真理です。 私を世にお遣わしになったように、私も彼らを世に遣わしました。 彼らのために、私は自らを聖なる者とします。彼らも、真理によって聖なる者とされるためです。

主の手が私に臨んだ。主はその霊によって私を連れ出し、平野のただ中に私を置いた。そこには骨が満ちていた。

主は私にその周

主の手が私に臨んだ。主はその霊によって私を連れ出し、平野のただ中に私を置いた。そこには骨が満ちていた。 主は私にその周囲を行き巡らせた。すると、その平野にはおびただしい骨があり、それは枯れ果てていた。 主は私に言われた。「人の子よ、この骨は生き返ることができるか。」私は言った。「主なる神よ、あなたはご存じです。」 主は私に言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。 主なる神はこれらの骨にこう言われる。今、私はあなたがたの中に霊を吹き込む。するとあなたがたは生き返る。 私はあなたがたの上に筋を付け、肉を生じさせ、皮膚で覆い、その中に霊を与える。するとあなたがたは生き返る。こうして、あなたがたは私が主であることを知るようになる。」 私は命じられたように預言した。私が預言していると、音がした。地響きがし、骨と骨とが近づいた。 私が見ていると、それらの上に筋ができ、肉が生じ、皮膚がその上を覆ったが、その中に霊はなかった。 主は私に言われた。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言え。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹いて来い。これら殺された者の中に吹きつけよ。すると彼らは生き返る。」 私が主が命じられたように預言すると、霊が彼らの中に入った。すると彼らは生き返り、自分の足で立ち、おびただしい大軍となった。 主は私に言われた。「人の子よ、これらの骨はイスラエルの家のすべてである。彼らは、『我々の骨は枯れ、我々の望みはうせ、我々は滅びる』と言っている。 それゆえ、預言して彼らに言いなさい。主なる神はこう言われる。私の民よ、私はあなたがたの墓を開き、あなたがたを墓から引き上げ、イスラエルの地に導き入れる。 私の民よ、私があなたがたの墓を開き、あなたがたをその墓から引き上げるとき、あなたがたは私が主であることを知るようになる。 私があなたがたの中に霊を与えると、あなたがたは生き返る。私はあなたがたを自分の土地に安住させる。その時、あなたがたは主である私がこれを語り、行ったことを知るようになる――主の仰せ。」

また、彼らについてだけでなく、彼らの言葉によって私を信じる人々についても、お願いします。

父よ、あなたが私の内におられ

また、彼らについてだけでなく、彼らの言葉によって私を信じる人々についても、お願いします。 父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らも私たちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたが私をお遣わしになったことを信じるようになります。 あなたがくださった栄光を、私は彼らに与えました。私たちが一つであるように、彼らも一つになるためです。 私が彼らの内におり、あなたが私の内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたが私をお遣わしになったこと、また、私を愛されたように、彼らをも愛されたことを、世が知るようになります。 父よ、私に与えてくださった人々を、私のいる所に、共にいるようにしてください。天地創造の前から私を愛して、与えてくださった私の栄光を、彼らに見させてください。 正しい父よ、世はあなたを知りませんが、私はあなたを知っており、この人々はあなたが私をお遣わしになったことを知っています。 私は彼らに御名を知らせました。また、これからも知らせます。私を愛してくださったあなたの愛が彼らの内にあり、私も彼らの内にいるようになるためです。」

きょうだいたち、私はここでもう一度、あなたがたに福音を知らせます。私があなたがたに告げ知らせ、あなたがたが受け入れ、より

きょうだいたち、私はここでもう一度、あなたがたに福音を知らせます。私があなたがたに告げ知らせ、あなたがたが受け入れ、よりどころとし、 これによって救われる福音を、どんな言葉で告げたかを知らせます。もっとも、あなたがたが無駄に信じたのではなく、今もしっかりと覚えていればの話ですが。 最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、 葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、 ケファに現れ、それから十二人に現れたことです。 その後、五百人以上のきょうだいたちに同時に現れました。そのうちの何人かはすでに眠りに就きましたが、大部分は今でも生きています。 次いで、キリストはヤコブに現れ、それからすべての使徒に現れ、 そして最後に、月足らずで生まれたような私にまで現れました。 私は、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中では最も小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。 神の恵みによって、今の私があるのです。そして、私に与えられた神の恵みは無駄にならず、私は他の使徒たちの誰よりも多く働きました。しかし、働いたのは、私ではなく、私と共にある神の恵みなのです。 だから、私にしても彼らにしても、このように宣べ伝えているのであり、あなたがたはこのように信じたのです。

「心を騒がせてはならない。神を信じ、また私を信じなさい。

私の父の家には住まいがたくさんある。もしなければ、私はそう言

「心を騒がせてはならない。神を信じ、また私を信じなさい。 私の父の家には住まいがたくさんある。もしなければ、私はそう言っておいたであろう。あなたがたのために場所を用意しに行くのだ。 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたを私のもとに迎える。こうして、私のいる所に、あなたがたもいることになる。 私がどこへ行くのか、その道をあなたがたは知っている。」 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうして、その道が分かるでしょう。」 イエスは言われた。「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。 あなたがたが私を知っているなら、私の父をも知るであろう。いや、今、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのだ。」 フィリポが、「主よ、私たちに御父をお示しください。そうすれば満足します」と言うと、 イエスは言われた。「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、私が分かっていないのか。私を見た者は、父を見たのだ。なぜ、『私たちに御父をお示しください』と言うのか。 私が父の内におり、父が私の内におられることを、信じないのか。私があなたがたに言う言葉は、勝手に話しているのではない。父が私の内におり、その業を行っておられるのである。 私が父の内におり、父が私の内におられると、私が言うのを信じなさい。もしそれを信じないなら、業そのものによって信じなさい。 よくよく言っておく。私を信じる者は、私が行う業を行うだろう。そればかりか、もっと大きなことを行うであろう。私が父のもとへ行くからである。 私の名によって願うことを何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。 私の名によって願うことは何事でも、私がかなえてあげよう。」

しかし、死者はどのように復活するのか、どのような体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。

愚かな人だ。あなたが蒔く

しかし、死者はどのように復活するのか、どのような体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。 愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を与えられることはありません。 あなたが蒔くものは、後にできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。 神は、御心のままに、これに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。 どの肉も同じというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。 また、天上の体もあれば、地上の体もあります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。 太陽の輝き、月の輝き、星の輝きと、それぞれ違いますし、星と星との間にも、輝きに違いがあります。 死者の復活もこれと同じです。朽ちるもので蒔かれ、朽ちないものに復活し、 卑しいもので蒔かれ、栄光あるものに復活し、弱いもので蒔かれ、力あるものに復活し、 自然の体で蒔かれ、霊の体に復活します。自然の体があるのですから、霊の体もあるわけです。 聖書に「最初の人アダムは生きる者となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となりました。 つまり、霊のものではなく、自然のものが最初にあり、それから霊のものがあるのです。 最初の人は地に属し、土からできた者ですが、第二の人は天に属する方です。 土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天上の者たちはすべて、天上のその方に等しいのです。 私たちは、土からできた人のかたちを持っていたように、天上の方のかたちをも持つようになります。

キリストが死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのは

キリストが死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか。 死者の復活がなければ、キリストも復活しなかったはずです。 そして、キリストが復活しなかったのなら、私たちの宣教は無駄であり、あなたがたの信仰も無駄になります。 それどころか、私たちは神について偽証した者ということになります。なぜなら、本当に死者が復活しないのなら、神が実際には復活させなかったキリストを、復活させたと言って、神に反して証言したことになるからです。 死者が復活しないのなら、キリストも復活しなかったはずです。 キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお罪の中にいることになります。 そうだとすると、キリストにあって眠りに就いた人々も滅んでしまったわけです。 この世にあって、キリストに単なる望みをかけているだけなら、私たちは、すべての人の中で最も哀れな者となります。 しかし今や、キリストは死者の中から復活し、眠りに就いた人たちの初穂となられました。 死が一人の人を通して来たのだから、死者の復活も一人の人を通して来たのです。 つまり、アダムにあってすべての人が死ぬことになったように、キリストにあってすべての人が生かされることになるのです。 しかし、一人一人にそれぞれ順番があり、まず初穂であるキリスト、次いで、キリストが来られるときに、キリストに属する人たち、 それから、世の終わりが来ます。その時、キリストはあらゆる支配、あらゆる権威と勢力を無力にして、父なる神に国を引き渡されます。 キリストはすべての敵をその足の下に置くまで、国を支配されることになっているからです。 最後の敵として、死が無力にされます。 「神は、万物を、その足元に従わせた」からです。「万物が従わせられた」と言われるとき、万物をキリストに従わせた方がそれに含まれていないことは、明らかです。 万物が御子に従うとき、御子自身も、万物をご自分に従わせてくださった方に従われます。神がすべてにおいてすべてとなられるためです。

あなたがたは、このように、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。

キリストの内に根を下

あなたがたは、このように、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。 キリストの内に根を下ろし、その上に建てられ、教えられたとおり信仰によって強められ、溢れるばかりに感謝しなさい。 空しいだまし事の哲学によって、人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、人間の言い伝えに基づくもの、この世のもろもろの霊力に基づくものであり、キリストに基づくものではありません。 キリストの内には、満ち溢れる神性がことごとく、見える形をとって宿っており、 あなたがたは、キリストにあって満たされているのです。キリストはすべての支配と権威の頭です。 あなたがたはキリストにあって、手によらない割礼を受けました。それは肉の体を脱ぎ捨てること、すなわち、キリストの割礼です。 あなたがたは、洗礼(バプテスマ)によってキリストと共に葬られ、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。 あなたがたは過ちによって、また肉に割礼を受けずに死んでいた者でした。神は、そのようなあなたがたをキリストと共に生かし、私たちのすべての過ちを赦してくださいました。 数々の規則によって私たちを訴えて不利に陥れていた借用書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださったのです。 こうして、神はもろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストにあって彼らを勝利の行進に従えて、公然とさらしものになさいました。

きょうだいたち、私はこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできません。また、朽ちるものが朽ちないものを受け継

きょうだいたち、私はこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできません。また、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐこともありません。 ここで、あなたがたに秘義を告げましょう。私たち皆が眠りに就くわけではありません。しかし、私たちは皆、変えられます。 終わりのラッパの響きとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴り響くと、死者は朽ちない者に復活し、私たちは変えられます。 この朽ちるものは朽ちないものを着、この死ぬべきものは死なないものを必ず着ることになるからです。 この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。 「死は勝利に吞み込まれた。 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。 死よ、お前の棘はどこにあるのか。」 死の棘は罪であり、罪の力は律法です。 私たちの主イエス・キリストによって私たちに勝利を与えてくださる神に、感謝しましょう。 私の愛するきょうだいたち、こういうわけですから、しっかり立って、動かされることなく、いつも主の業に励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあって無駄でないことを知っているからです。

ところで、祭りの度に、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。

時に、バラバ・イエスと言う名うての囚人が

ところで、祭りの度に、総督は民衆の希望する囚人を一人釈放することにしていた。 時に、バラバ・イエスと言う名うての囚人がいた。 ピラトは、人々が集まって来たときに言った。「どちらを釈放してほしいのか。バラバ・イエスか。それともメシアと言われるイエスか。」 人々がイエスを引き渡したのは、妬みのためだと分かっていたからである。 ピラトが裁判の席に着いているとき、その妻が彼のもとに人をやって言わせた。「あの正しい人に関わらないでください。その方のために私は今日、夢で非常に苦しみました。」 しかし、祭司長たちや長老たちは、バラバを釈放して、イエスを死刑に処してもらうようにと群衆を説得した。 そこで、総督が、「二人のうち、どちらを釈放してほしいのか」と言うと、人々は、「バラバを」と言った。 ピラトが、「では、メシアと言われているイエスのほうは、どうしたらよいか」と言うと、皆は、「十字架につけろ」と言った。 ピラトは、「一体、どんな悪事を働いたというのか」と言ったが、群衆はますます激しく、「十字架につけろ」と叫び続けた。 ピラトは手の付けようがなく、かえって騒動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った。「この人の血について、私には責任がない。お前たちの問題だ。」 民はこぞって答えた。「その血は、我々と我々の子らの上にかかってもいい。」 そこで、ピラトはバラバを釈放し、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。 それから、総督の兵士たちは、イエスを総督官邸に連れて行き、部隊の全員をイエスの周りに集めた。 そして、イエスの着ている物を剝ぎ取り、深紅の外套を着せ、 茨で冠を編んで頭に載せ、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、「ユダヤ人の王、万歳」と言って、侮辱した。 また、唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭を叩いた。 このようにイエスを侮辱したあげく、外套を脱がせて元の服を着せ、十字架につけるために引いて行った。

夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺すために協議した。

そして、イエスを縛って連れ出し、総督ピラト

夜が明けると、祭司長たちと民の長老たち一同は、イエスを殺すために協議した。 そして、イエスを縛って連れ出し、総督ピラトに引き渡した。 その頃、イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し、銀貨三十枚を祭司長たちや長老たちに返そうとして、 「私は罪のない人の血を売り渡し、罪を犯しました」と言った。しかし彼らは、「我々の知ったことではない。お前の問題だ」と言った。 それで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んでそこを離れ、出て行って、首をくくった。 祭司長たちは銀貨を拾い上げて、「これは血の代価だから、神殿の金庫に入れるわけにはいかない」と言い、 相談のうえ、その金で「陶工の畑」を買い、見知らぬ人のための墓地にすることにした。 それで、この畑は今日まで「血の畑」と呼ばれている。 こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。「彼らは銀貨三十枚を取った。それは、値踏みされた者の価、イスラエルの子らが値踏みした者の価である。 主が私にお命じになったように、彼らはこの金で陶工の畑を買い取った。」 さて、イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前はユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることだ」と言われた。 しかし、祭司長たちや長老たちから訴えがなされたときは、何もお答えにならなかった。 すると、ピラトは、「聞こえないのか。あんなにお前に不利な証言をしているのに」と言った。 しかし、総督が非常に不思議に思うほどに、イエスはどんな訴えにも一言もお答えにならなかった。

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