たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、やかましいシンバル。

たとえ私が、預言

たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、やかましいシンバル。 たとえ私が、預言する力を持ち、あらゆる秘義とあらゆる知識に通じていても、また、山を移すほどの信仰を持っていても、愛がなければ、無に等しい。 また、全財産を人に分け与えても、焼かれるためにわが身を引き渡しても、愛がなければ、私には何の益もない。 愛は忍耐強い。愛は情け深い。妬まない。愛は自慢せず、高ぶらない。 礼を失せず、自分の利益を求めず、怒らず、悪をたくらまない。 不正を喜ばず、真理を共に喜ぶ。 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。 愛は決して滅びません。しかし、預言は廃れ、異言はやみ、知識も廃れます。 私たちの知識は一部分であり、預言も一部分だからです。 完全なものが来たときには、部分的なものは廃れます。 幼子だったとき、私は幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていました。大人になったとき、幼子のような在り方はやめました。 私たちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ていますが、その時には、顔と顔とを合わせて見ることになります。私は、今は一部分しか知りませんが、その時には、私が神にはっきり知られているように、はっきり知ることになります。 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残ります。その中で最も大いなるものは、愛です。

私は誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主の幻と啓示とについて語りましょう。

私は、キリストにある一人の人を知っ

私は誇らずにいられません。誇っても無益ですが、主の幻と啓示とについて語りましょう。 私は、キリストにある一人の人を知っています。その人は十四年前、第三の天にまで引き上げられたのです。体のままか、体の外に出てかは知りません。神がご存じです。 私はそのような人を知っています。体のままか、体を離れてかは知りません。神がご存じです。 その人は楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表しえない言葉を聞いたのです。 このような人のことを私は誇りましょう。しかし、私自身については、弱さ以外は誇るつもりはありません。 もっとも、私が誇る気になったとしても、真実を語るのだから、愚か者にはならないでしょう。しかし、誇るのはやめましょう。私について見たり、聞いたりする以上に、私を買いかぶる人がいるかもしれないからです。 また、あまりに多くの啓示を受けたため、それで思い上がることのないようにと、私の体に一つの棘が与えられました。それは、思い上がらないように、私を打つために、サタンから送られた使いです。 この使いについて、離れ去らせてくださるように、私は三度主に願いました。 ところが主は、「私の恵みはあなたに十分である。力は弱さの中で完全に現れるのだ」と言われました。だから、キリストの力が私に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。 それゆえ、私は、弱さ、侮辱、困窮、迫害、行き詰まりの中にあっても、キリストのために喜んでいます。なぜなら、私は、弱いときにこそ強いからです。

あなたがたはまだ、罪と闘って、血を流すまで抵抗したことがありません。

また、子に対するようにあなたがたに語られている次

あなたがたはまだ、罪と闘って、血を流すまで抵抗したことがありません。 また、子に対するようにあなたがたに語られている次の勧告を忘れています。 「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。 主によって懲らしめられても 弱り果ててはならない。 主は愛する者を鍛え 子として受け入れる者を皆 鞭打たれるからである。」 あなたがたは鍛錬として耐え忍びなさい。神は、あなたがたを子として扱っておられるのです。一体、父から鍛えられない子があるでしょうか。 誰もが受ける鍛錬を受けていないとすれば、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。 さらに、私たちには、鍛えてくれる肉の父がいて、その父を敬っていました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。 肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父は私たちの益のために、ご自分の聖性にあずからせようとして、鍛えてくださるのです。 およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後には、それによって鍛え上げられた人々に、平安な義の実を結ばせるのです。 だから、萎えた手と衰えた膝をまっすぐにしなさい。 また、自分の足のために、まっすぐな道を造りなさい。不自由な足が道を踏み外すことなく、むしろ癒やされるためです。

パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あなたがたがあらゆる点で信仰のあつい方であることを、私は

パウロは、アレオパゴスの真ん中に立って言った。「アテネの皆さん、あなたがたがあらゆる点で信仰のあつい方であることを、私は認めます。 道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それを私はお知らせしましょう。 世界とその中の万物とを造られた神が、その方です。この神は天地の主ですから、人の手で造った神殿などにはお住みになりません。 また、何か足りないことでもあるかのように、人の手によって仕えてもらう必要もありません。すべての人に命と息と万物とを与えてくださるのは、この神だからです。 神は、一人の人からすべての民族を造り出して、地上の全域に住まわせ、季節を定め、その居住地の境界をお決めになりました。 これは、人に神を求めさせるためであり、また、彼らが探し求めさえすれば、神を見いだすことができるようにということなのです。実際、神は私たち一人一人から遠く離れてはおられません。 私たちは神の中に生き、動き、存在しているからです。皆さんのうちのある詩人たちも、『我らもその子孫である』と言っているとおりです。 私たちは神の子孫なのですから、神である方を、人間の技や考えで刻んだ金、銀、石などの像と同じものと考えてはなりません。 さて、神はこのような無知な時代を大目に見てくださいましたが、今はどこにいる人でも皆悔い改めるようにと、命じておられます。 先にお選びになった一人の方によって、この世界を正しく裁く日をお決めになったからです。神はこの方を死者の中から復活させて、すべての人にそのことの確証をお与えになったのです。」

あなたは、七年の終わりごとに負債を免除しなければならない。

免除のしかたは次のとおりである。すべての貸し主は隣人に貸し

あなたは、七年の終わりごとに負債を免除しなければならない。 免除のしかたは次のとおりである。すべての貸し主は隣人に貸したものを免除しなければならない。隣人や同胞から取り立ててはならない。主が負債免除を告知されたからである。 外国人からは取り立ててもよいが、同胞があなたに負っている負債は免除しなければならない。 あなたの神、主が相続地としてあなたに所有させる地で、主は必ずあなたを祝福されるから、あなたの中に貧しい者は一人もいなくなるであろう。 ただ、そのためには、あなたは、あなたの神、主の声に必ず聞き従い、今日あなたに命じる戒めをすべて守り行わなければならない。 あなたの神、主は、あなたに告げられたとおりあなたを祝福されるから、あなたは多くの国民に貸すようになり、借りることはない。また、多くの国民を支配するようになるが、支配されることはない。 あなたの神、主があなたに与えられた地のどこかの町で、あなたの兄弟の一人が貧しいなら、あなたは、その貧しい兄弟に対して心を閉ざし、手をこまぬいていてはならない。 彼に向かって手を大きく広げ、必要なものを十分に貸し与えなさい。 あなたは、心によこしまなことを抱き、「七年目の負債免除の年が近づいた」と言って貧しい同胞に物惜しみをし、彼に何も与えないことのないよう気をつけなさい。彼があなたのことで主に訴えると、あなたは罪に問われることになる。 彼に惜しみなく与えなさい。与えるときに惜しんではならない。そのことで、あなたの神、主は、あなたのすべての働きとあなたのすべての手の業を祝福してくださる。 この地から貧しい者がいなくなることはないので、私はあなたに命じる。この地に住むあなたの同胞、苦しむ者、貧しい者にあなたの手を大きく広げなさい。

イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。あなたの神、主を畏れ、主の道をいつも歩み、主を愛し、

イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。あなたの神、主を畏れ、主の道をいつも歩み、主を愛し、あなたの神、主に、心を尽くし、魂を尽くして仕え、 私が今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸せになることではないか。 見よ、天も、天の天も、地とそこにあるすべてのものも、あなたの神、主のものである。 ただ、主はあなたの先祖にのみ心をかけて愛され、後に続く子孫であるあなたがたを、すべての民の中から今日あるように選ばれた。 だから、あなたがたの心の包皮に割礼を施し、二度とかたくなになってはならない。 あなたがたの神、主は神の中の神、主の中の主、偉大で勇ましい畏るべき神、偏り見ることも、賄賂を取ることもなく、 孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛してパンと衣服を与えられる方である。 だから寄留者を愛しなさい。あなたがたもエジプトの地で寄留者だったからである。 あなたの神、主を畏れ、主に仕えなさい。主に付き従い、その名によって誓いなさい。 主こそあなたの誉れ、あなたの神、あなたが目にしたこれらの大いなる恐るべきことを行われた方である。 あなたの先祖は七十人でエジプトに下ったが、今や、あなたの神、主はあなたを空の星のように多くされた。

イエスは、民衆の聞いている所でこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。

ところで、ある百人隊長に

イエスは、民衆の聞いている所でこれらの言葉をすべて話し終えてから、カファルナウムに入られた。 ところで、ある百人隊長に重んじられている僕が、病気で死にかけていた。 イエスのことを聞いた百人隊長は、ユダヤ人の長老たちを使いにやって、僕を助けに来てくださるように頼んだ。 長老たちはイエスのもとに来て、熱心に願った。「あの方は、そうしていただくのにふさわしい人です。 私たちの国民を愛して、会堂を建ててくれました。」 そこで、イエスは一緒に出かけられた。ところが、その家からあまり遠くない所まで来ると、百人隊長は友人たちを送って言わせた。「主よ、ご足労には及びません。私はあなたをわが家にお迎えできるような者ではありません。 それで、私のほうからお伺いすることもいたしませんでした。ただ、お言葉をください。そして、私の僕を癒やしてください。 私も権威の下に服している人間ですが、私の下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、僕に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」 イエスはこれを聞いて驚き、付いて来た群衆の方を振り向いて言われた。「言っておくが、イスラエルの中でさえ、これほどの信仰は見たことがない。」 使いに行った人たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた。

47 48 49 50 51