復活のおとずれ-主の慈しみとその約束

(ホセア書 6:1-6)

原文

さあ、我々は主のもとに帰ろう。

主は我々を引き裂いたが、癒やし

我々を打たれたが、包んでくださる。

主は二日の後に我々を生き返らせ

三日目に起き上がらせてくださる。

我々は主の前に生きる。

我々は知ろう。

主を知ることを切に求めよう。

主は曙の光のように必ず現れ

雨のように我々を訪れる。

地を潤す春の雨のように。

エフライムよ、私はあなたに何をなすべきか。

ユダよ、あなたに何をなすべきか。

あなたがたの慈しみは朝の霧

はかなく消える露のようだ。

それゆえ、私は預言者たちによって切り倒し

私の口の言葉によって彼らを打ち殺す。

あなたの裁きは光のように現れる。

私が喜ぶのは慈しみであって

いけにえではない。

神を知ることであって

焼き尽くすいけにえではない。

出典

(ホセア書 6:1-6) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用

妙機牧師の教え

私たちの心が傷つき、引き裂かれた時、主はいつも私たちを迎え入れてくださいます。「さあ、我々は主のもとに帰ろう。」という言葉は、私たちに癒しの道を示してくれます。主は私たちの苦しみを知り、二日の後に生き返らせ、三日目に私たちを起き上がらせてくださるお方です。これは私たちが新しい命を得ることによって、主の前に生きる姿を表しています。

私たちは主を知ることを切に求め、主が曙の光のように我々の人生に現れることを期待しましょう。主は雨のように、地を潤す春の雨のように、私たちを訪れ、また新しい恵みを注ぎ入れてくださいます。このようにして、私たちの心も満たされていくのです。

しかし、私たちの心の中には、時には干からびかけた慈しみや儚いものが存在します。「エフライムよ、私はあなたに何をなすべきか。」という問いかけは、私たち自身にとっても意味深いものです。私たちは神の慈しみをはかなく消えていく露のように感じてしまうことがありますが、それゆえに私たちは日々神を求め、彼の言葉に耳を傾ける必要があります。

神の裁きは光のように現れ、私たちの心を照らします。主が喜ばれるのは、ただいけにえではなく、私たちが神を知ることです。ホセア書に記されているこの聖句は、私たちがいかに主との関係を深めるか、そしてこの主の慈しみを感じるかということを教えています。主の恵みの中で、私たちは本当に生きる道を見出すことができるのです。

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