主の日に向って-永遠の命を求める者へ
(ヨハネの黙示録 22:16-20)
私イエスが天使を送り、諸教会についてこれらのことをあなたがたに証しした。私は、ダビデのひこばえ、その子孫、輝く明けの明星である。」
霊と花嫁が共に言う。「来りませ。」これを聞く者も言うがよい。「来りませ。」渇いている者は来るがよい。命の水が欲しい者は、価なしに飲むがよい。
この書の預言の言葉を聞くすべての者に、私は証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書に書いてある災いをその者に加えられる。
また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受け取る分け前を取り去るであろう。
これらのことを証しする方が言われる。「然り、私はすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来りませ。
(ヨハネの黙示録 22:16-20) 『聖書 聖書協会共同訳』より引用
私たちが待ち焦がれる主の日、その日には、私たちの心に希望が満ち溢れます。イエス・キリストは語ります。「私は、ダビデのひこばえ、その子孫、輝く明けの明星である」と。彼の到来は、どんな闇の中でも私たちを照らす光です。この言葉は、彼が私たちのために約束された救いの象徴であり、希望の源です。
聖書の言葉は、私たちに「来りませ」と呼びかけています。霊と花嫁が共に宣言するその声に耳を傾け、渇いている者は命の水を求めて来るべきです。神は私たちに、価格を払うことなく、無限の生命を与えようとしています。それは私たちが一生懸命に働くものではなく、ただ信じる者に与えられる贈り物です。
しかし、私たちがこの聖句から学ぶべきことは、神の言葉を軽んじてはならないということです。預言の書に付け加える者には災いが、取り去る者には命の木からの分け前が奪われるとあります。その警告を真摯に受け止め、私たちの信仰を取り扱う責任を持ちましょう。
主は言われます。「然り、私はすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、どうか来りませ。私たちはその日を待ち望み、心を整え、主を迎える準備をし続けましょう。信じている者には必ず、命の水が与えられるのです。主の日に向かって、共に歩んでいきましょう。