とかくするうちに、数万人もの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファ

とかくするうちに、数万人もの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスは、まず弟子たちに話し始められた。「ファリサイ派の人々のパン種、すなわち、彼らの偽善に注意しなさい。 覆われているもので現されないものはなく、隠れているもので知られずに済むものはない。 だから、あなたがたが暗闇で言ったことはみな、明るみで聞かれ、奥の部屋で耳にささやいたことは、屋根の上で言い広められる。」 「友人であるあなたがたに言っておく。体を殺しても、その後、それ以上何もできない者どもを恐れるな。 誰を恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、ゲヘナに投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。 五羽の雀は二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神の前で忘れられてはいない。 それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。恐れることはない。あなたがたは、たくさんの雀よりも優れた者である。」 「言っておくが、誰でも人々の前で私を認める者は、人の子も神の天使たちの前で、その人を認める。 しかし、人々の前で私を拒む者は、神の天使たちの前で拒まれる。 人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒瀆する者は赦されない。 会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配してはならない。 言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださる。」

このような確信をもって、私は、あなたがたがもう一度恵みを受けるようにと、まずあなたがたのところへ行く計画を立てました。

このような確信をもって、私は、あなたがたがもう一度恵みを受けるようにと、まずあなたがたのところへ行く計画を立てました。 そして、そちらを経由してマケドニアに行き、マケドニアから再びそちらに戻って、ユダヤに送り出してもらおうと考えたのでした。 このような計画を立てたのは、軽はずみだったでしょうか。それとも、私の計画は人間的な考えによるもので、私にとって「然り、然り」が同時に、「否、否」となるのでしょうか。 しかし、神は真実な方です。だから、あなたがたに向けた私たちの言葉は、「然り」であると同時に「否」であるというものではありません。 私たち、つまり、私とシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子イエス・キリストは、「然り」と同時に「否」となったような方ではありません。この方においては「然り」だけが実現したのです。 神の約束はすべて、この方において「然り」となったからです。それで、私たちはこの方を通して神に「アーメン」と唱え、栄光を帰するのです。 私たちとあなたがたとをキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注いでくださったのは、神です。 神はまた、私たちに証印を押し、保証として私たちの心に霊を与えてくださいました。 私は、神を証人として、命にかけて誓いますが、私がコリントに行かなかったのは、あなたがたに情けをかけたからです。 私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく、あなたがたの喜びのために協力する者です。あなたがたは信仰にしっかり立っているからです。

主はナタンをダビデのもとに遣わされた。ナタンはダビデのところに来て言った。

「ある町に二人の男がいた。

一人は富み、

主はナタンをダビデのもとに遣わされた。ナタンはダビデのところに来て言った。 「ある町に二人の男がいた。 一人は富み、一人は貧しかった。 富める男は非常に多くの羊や牛を持っていた。 貧しい男は自分で買い求めた 一匹の雌の小羊のほかは 何一つ持っていなかった。 彼はその小羊を養い 小羊は彼のもとで、彼の息子たちと共に成長し 彼の乏しいパンを一緒に食べ、彼の杯から飲み 彼の懐で眠り 彼にとってはさながら娘のようであった。 あるとき、富める男のところに 一人の旅人がやって来た。 富める男は 自分のところに来た旅人をもてなすのに 自分の羊か牛を取って料理するのを惜しみ 貧しい男の小羊を取り上げて 自分のところに来たその人のために振る舞った。」 ダビデはその男のことで怒りを燃やし、ナタンに言った。「主は生きておられる。そのようなことをした男は死ななければならない。 物惜しみをし、そんなことをした報いとして、小羊を四倍にして償わなければならない。」 ナタンはダビデに言った。「それはあなたです。イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたに油を注ぎ、イスラエルの王としたのは私である。私はあなたをサウルの手から救い出し、 あなたの主人の家をあなたに与え、主人の妻たちをあなたの懐に与え、イスラエルとユダの家をあなたに与えた。もし不足ならば、私はいくらでもあなたに与えたであろう。 なぜ、主の言葉を侮り、私の意に背くことをしたのか。あなたはあのヘト人ウリヤを剣にかけ、彼の妻を奪って自分の妻とし、アンモン人の剣で彼を殺した。 それゆえ、剣はあなたの家からとこしえに離れることはない。あなたが私を侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからである。』 主はこう言われる。『見よ、私はあなたの家の中から、あなたに対して災いを起こす。あなたの目の前で、あなたの妻たちを取り上げ、あなたの隣人に与える。彼は白日の下で、あなたの妻たちと寝るだろう。 あなたはひそかにこれを行ったが、私はイスラエルのすべての人々の前で、白日の下にこれを行う。』」 ダビデはナタンに言った。「私は主に罪を犯しました。」ナタンはダビデに言った。「主もまたあなたの罪を取り除かれる。あなたは死なない。 しかし、あなたがこの行いによって大いに主を侮ったために、生まれて来るあなたの息子は必ず死ぬであろう。」 ナタンは自分の家に帰って行った。主は、ウリヤの妻が産んだダビデの子を打たれたので、子は重い病気にかかった。

レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、

持ってい

レビ族の人で、使徒たちからバルナバ――「慰めの子」という意味――と呼ばれていた、キプロス島生まれのヨセフも、 持っていた畑を売り、その代金を持って来て、使徒たちの足元に置いた。 ところが、アナニアと言う人は、妻のサフィラと相談して財産を売り、 妻も承知のうえで、代金の一部を取っておき、その残りを持って来て使徒たちの足元に置いた。 すると、ペトロは言った。「アナニア、なぜ、あなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて、土地の代金の一部を取っておいたのか。 売らないでおけば、あなたのものだったし、また、売っても、その代金は自分の思いどおりになったではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人間を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」 この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息が絶えた。そのことを耳にした人々は皆、非常に恐れた。 若者たちが立ち上がって死体を包み、運び出して葬った。 それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って来た。 ペトロは彼女に話しかけた。「あなたがたは、あの土地をこの値段で売ったのか。言いなさい。」彼女は、「はい、その値段です」と答えた。 ペトロは言った。「二人で示し合わせて、主の霊を試すとは、何としたことか。見なさい。あなたの夫を葬りに行った人たちが、もう戸口まで来ている。今度はあなたを担ぎ出すだろう。」 すると、彼女はたちまちペトロの足元に倒れ、息が絶えた。若者たちは入って来て、彼女の死んでいるのを見ると、担ぎ出し、夫のそばに葬った。 教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた。

さて、あなたがたが私への心遣いを、ついにまた表してくれたことを、私は主にあって非常に喜びました。今までは思いはあっても、

さて、あなたがたが私への心遣いを、ついにまた表してくれたことを、私は主にあって非常に喜びました。今までは思いはあっても、それを表す機会がなかったのでしょう。 物欲しさにこう言うのではありません。私は、自分の置かれた境遇に満足することを学びました。 貧しく暮らすすべも、豊かに暮らすすべも知っています。満腹することにも、飢えることにも、有り余ることにも、乏しいことにも、ありとあらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。 私を強めてくださる方のお陰で、私にはすべてが可能です。 それにしても、あなたがたは、よく私と苦しみを共にしてくれました。 フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、私が福音の宣教の初めにマケドニアから出かけて行ったとき、会計を共にしてくれた教会は、あなたがたのほかに一つもありませんでした。 テサロニケにいたときにも、あなたがたは私の窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。 贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの帳簿を黒字にする実りを求めているのです。 私はあらゆるものを受けており、有り余るほどです。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って、満ち足りています。それはかぐわしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。 私の神は、ご自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスにあって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。 私たちの父なる神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

このことについては、話すことがたくさんありますが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、容易に説明できません。

あなたが

このことについては、話すことがたくさんありますが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、容易に説明できません。 あなたがたは、長らく教師をしていながら、神の言葉の初歩をもう一度誰かに教えてもらわねばならず、また、固い食物ではなく、乳を必要とする始末だからです。 乳を飲んでいる者は皆、幼子ですから、義の言葉を味わったことがありません。 固い食物は、習慣によって善悪を見分ける感覚を鍛えられた、大人のためのものです。 ですから私たちは、死んだ行いの悔い改め、神への信仰、種々の洗礼(バプテスマ)についての教え、手を置く儀式、死者の復活、永遠の裁きといった教えを今さら学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を後にして、完成を目指して進もうではありませんか。 神のお許しを得て、そうすることにしましょう。 ひとたび光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力を味わいながら、 後に堕落した者たちは、再び悔い改めへと立ち帰ることはできません。神の子を自分でまたもや十字架につけ、さらし者にしているからです。 土地は、度々その上に降る雨を吸い込んで、耕す人々に役立つ作物をもたらすなら、神の祝福にあずかります。 しかし、茨やあざみを生えさせるなら、無用なものとなり、やがて呪われ、ついには焼かれてしまいます。

しかし、愛する人たち、こうは言うものの、私たちはあなたがたについて、もっと良いこと、救いに関わることがあると確信していま

しかし、愛する人たち、こうは言うものの、私たちはあなたがたについて、もっと良いこと、救いに関わることがあると確信しています。 神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになることはありません。 私たちは、あなたがた一人一人が、同じ熱心さを示して、最後まで希望を持ち続けてくれるよう願っています。 あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束を受け継ぐ人たちに倣う者となるためです。 神は、アブラハムに約束をする際に、ご自身より偉大な者にかけて誓えなかったので、ご自身にかけて誓い、 「私は必ずあなたを大いに祝福し、あなたを大いに増やす」と言われました。 こうして、アブラハムは忍耐の末に、約束のものを得ました。 そもそも人間は、自分より偉大な者にかけて誓うのであって、その誓いはあらゆる反論を終わらせる保証となります。 そこで、神は約束のものを受け継ぐ人々に、ご計画の不変であることを、いっそうはっきり示そうと考え、誓いをもって保証されたのです。 それは、この二つの不変の事柄によって――この事柄に関して、神が偽ることはありえません――目の前にある希望を手にしようと世を逃れて来た私たちが、力強く励まされるためです。 私たちはこの希望を、魂のための安全で確かな錨として携え、垂れ幕の内側へと入って行くのです。 イエスは、私たちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクに連なる大祭司となられました。

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