それでは、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができる

それでは、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がいなくて、どうして聞くことができるでしょう。 遣わされないで、どうして宣べ伝えることができるでしょう。「なんと美しいことか、良い知らせを伝える者の足は」と書いてあるとおりです。 しかし、すべての人が福音に従ったのではありません。イザヤは、「主よ、誰が私たちの知らせを信じましたか」と言っています。 それゆえ、信仰は聞くことから、聞くことはキリストの言葉によって起こるのです。 それでは、尋ねよう。彼らは聞かなかったのだろうか。もちろん聞いたのです。 「その声は全地に その言葉は世界の果てにまで及んだ」のです。 それでは、尋ねよう。イスラエルは分からなかったのだろうか。このことについては、まずモーセが、 「私は、民ではない者のことで あなたがたに妬みを起こさせ 愚かな民のことで、あなたがたを怒らせる」と言っています。 イザヤも大胆に、 「私を求めない者に 私は見いだされ 私を尋ねない者に現れた」と言っています。 しかし、イスラエルについては、「私は、不従順で反抗する民に、日夜、手を差し伸べた」と言っています。

きょうだいたち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあると、はっきり言えます。

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きょうだいたち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今日まで私たちのところにあると、はっきり言えます。 ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人を王座に着かせると、神が堅く誓ってくださったことを知っていました。 そして、キリストの復活について予見して、 『彼は陰府に捨て置かれず その肉体は朽ち果てなかった』と語りました。 神はこのイエスを復活させられたのです。私たちは皆、そのことの証人です。 それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。 ダビデが天に昇ったわけではありません。彼自身こう言っています。 『主は、私の主に告げられた。 「私の右に座れ 私があなたの敵を あなたの足台とするときまで。」』 だから、イスラエルの家はみな、はっきりと知らなくてはなりません。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」 人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、ペトロと他の使徒たちに、「兄弟たち、私たちは何をすべきでしょうか」と言った。 そこで、ペトロは彼らに言った。「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼(バプテスマ)を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれば、聖霊の賜物を受けるでしょう。 この約束は、あなたがたにも、あなたがたの子どもたちにも、また、遠くにいるすべての人にも、つまり、私たちの神である主が招いてくださる者なら誰にでも、与えられているものなのです。」

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